2024年4月20日 (土)

俳人十湖讃歌 第167回 芭蕉忌(5) 

    庵へ戻りそろそろ暇を乞うつもりでいたところ、十湖から明日は芭蕉忌を催すので見て行けと促される。
 以下に鷹野弥三郎(俳号柏葉)の見聞録を記す。

 明治四十年十一月十七日大有庵の芭蕉忌
 潚々(しゅうしゅう)と降り連なる時雨は実に翁忌を偲ばれて去る十七日一層の風流さ、みやびやかさを増し いともよき日和なりき。
 十湖主催の会は各地、各国の俳人から送り来られる朗詠佳吟が去る七,八日より引きも切らず集まり積みて山を成し、献詠千余句に及ぶ。
 当日午前九時ころより雨の中を三々五々集まり来て十時半ころには五十余名と多数なり。祭文を送りし俳人は細江の野末寸穂ほか十数名。同庵当忌のため数日前より俳人らが入りふけり、立ちふけり下俳諧を成しつつあり。
 当日の来賓中には抹茶の佳雅堂、書家司馬老泉、山下青城の二氏、伶人には竹石、随処、如鶴の三名なり。各俳士は十時ころより数日来のごとく下俳諧に努め、庵主は喜悦満面に溢れていたり。
 降り連なる雨は正午に近づくころより止み朦々たる雲はいずれにか去りて碧空高く、清く、陽は輝きて小春日和となれり。それより来会俳一同庵主が自慢の蕎麦の饗応に大いに腹を肥やして午後一時より翁の追善となり。

Renku

 

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2024年4月17日 (水)

俳人十湖讃歌 第166回 芭蕉忌(4)

 しばらく黙って筆を動かしていた十湖だが、おもむろに灯火を点じ始め、腕組みをしながら話し始めた。
「新派俳句の最も嫌う蕉風純月並みによって句を作るといえども、古色極まる一派の月並み連のように、いたずらに古人の残り粕を褒めつつあるものとは、わしはその趣きを異にする。古俳聖の趣味をたとえ、いわゆるその調べは一種のクラシックなれども、これに新しき時代思想を合せ、決して思想陳腐にして蕉風を脱せるごとくのものにあらず。富贍なる新思想と奇異なる人生観によって、みだりに利口ぶらざる句をものとし、余韻できたる如くにして一句は一句ごとに独特の俳味あるものを尊び、俗を化して俳となし味をして俳味に化せしむるの天才詩人、むしろ天才なる。かかる偉大な俳人、あえて自ら曰く、蕉派の隊長月並みの頭領なりと」
 十湖は一息にして柏葉の要件に応えてきたのである。
 その夜、柏葉は十湖宅に宿泊し夕餉を弟子たちと懇談しながら過ごす。
 午前二時ころ降り出した雨の音で目を覚ますが、そのまま寝入る。
 早朝、十湖より百人塚、一基一句塚を見物していけと弟子を伴い十湖の庵を出た。
 東南に向かい数町歩み天竜川の堤を超えると御嶽神社に着く。
 その西隣に摩利支天の小さな堂があり、そばに百人塚があった。
 これらは十湖および門人の手によって建てられたものにして凡そ百五十基あり。みな自信作の俳句が記されていた。
 さらに弟子の案内で次に向かったのは天竜川を眺めつつ七,八町上がり左に折れて豊西小学校の前を過ぎ十湖の檀家寺である源長院に至る。 
 寺は屋根の吹き替え中で取り乱されていたが、十湖の次男近藤登之助の句碑をはじめ門人らの句塚を見学する。
 ここを去り北西に向かい笠井の町に至ると福来寺の観音堂を拝し、そのそばに建つ百数十の一基一句塚を見た。
 これ等は十湖のちからによってできたもので、以上三個所の句碑は都合三百基であった。
 柏葉はあらためて俳句を育てる十湖の意気込みを知ったようであった。

Jyukohyakutuaka
(2024年現在の百句塚:「現代によみがえる報徳の絆」参考引用)

 Maptuka

 

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2024年4月12日 (金)

俳人十湖讃歌 第165回 芭蕉忌(3)

 明治四十年十一月、体調がすぐれぬ鷹野弥三郎(俳号柏葉)だったが、老体に鞭打って閑詠自適を貫き俳句の選評に忙しい十湖を思えば、訪問することが自分の慰めになると足を向けた。
 汽車を天竜川駅で降り市野町を経て中善地に向かう。まだ陽が傾くまでには時間があった。
 十湖宅の玄関を入り奥に向かって「ごめん下さい。柏葉です」
と大きな声をかけると、その家の主十湖自身が出てきた。
「来たか。まあ上がれ」とそっけない返事。
 家の中には妻も弟子の姿もない。どうしたものかと思案していると書斎へ通され着物姿のままの十湖が
「遠方よりよく来てくれた。ごくろうだったな」
 柏葉はすかさず恐縮しながら
「お忙しいところわざわざ時間をとっていただき、すみませんでした」
と切り出し、早速、訪問の要件を説明した。
 Kasaiima

 

 

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2024年4月 9日 (火)

俳人十湖讃歌 第164回 芭蕉忌(2)

 新朝報なる新聞に連日三回執筆してきた鷹野は、その一節に「十湖をして平凡なる眼より見るときはさほど孝者たり、忠者たりと思わず、されど十湖はりっぱなる孝子にしてまた忠義の国民なり、その勤王心厚く我がままにして真心一途の忠義を貫き曲げない人物である」と評した。
 このとき、出版社からの依頼は「社会の風潮は日々文明を取り入れて物質的実利主義へと移り変わっていく中にあって元禄時代から続く趣味の延長上の平民文学ともいえる俳句の世界に正岡子規らによる新派集団が生まれたという今日、彼らの蕉風いわゆる月並み派を排斥しようとする動きが起こったにもかかわらず、今日でもひとり純趣味の月並みを持続して少しでも動揺することなく、平然として古人の遺作を脱せざる純月並みの俳人たちがいるので取材せよ」とのことだった。その対象者の中に十湖の名があった。

Meijihaikai

(村山古郷:村上俳壇史の表紙)

 

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2024年4月 6日 (土)

俳人十湖讃歌 第163回 芭蕉忌(1) 

 昭和十一年東京の市立サナトリウムの病室では、鷹野弥三郎が妻つぎを見舞いし、お互いの過去の出来事を紡いでいた。
「僕は君に出会う前は義父のところによく足を運んでいたが、そのたびに君との出会いが何度となくあったね」
 弥三郎は、つぎの顔色を見ながら話しだした。
 つぎは未だに鷹野との出会いが結婚に結び付くとは思っていなかったらしい。
 結婚に至るその年、弥三郎は最後の取材で十湖宅を訪問することになっていた。
「最初から俳諧の手法を訊ねようと意図しながらの訪問だったが、義父には見抜かれてしまい、挙句に四、五日も庵に滞在してしまったよ。おかげで句会にまで顔をだすことができたのさ」
「私は俳句のことは知らなかったし興味がなかったわ。でもあなたにとっては貴重な体験だったのね」
 再び弥三郎は当時の模様を反芻していた。

Byositu

 

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