俳人十湖讃歌 第133回 二俣騒動(11) 最終回

 翌三日、二俣町が平和回復大祝賀会を開催した。
 二俣小学校庭へ郡長・郡会議員・調停関係者のほか町会議員・南北町民代表等が顔を揃え十湖も招かれた。
 会が終わり、夜の宴会は町内の福田屋、角屋で行われた。
 校地問題の功労者だと紹介された十湖は、嬉しさのあまり夕暮れの替え歌を即興で独吟して祝った。

  夕暮れに眺め見はたす天竜川 月に風情を烏帽子山
  帆あげた舟が見えるぞえ   あれ鶴が啼く鶴が啼く
  壬生に祝ひがあるわいな

 さらに二俣町に平和克服として句を披露した。

  美しや野分のあとの月の色

 翌日、十湖は思いがけなくも仲裁の礼金として銀行頭取から三十円いただいた。
「さすが十湖様だね。まさに河童から子供を助けた白髪の諏訪明神の化身だよ」
 蓮台は、十湖を諏訪明神と褒めたたえた。 
 一方、博打ちの堀部清助からは賭けに勝って三十円を巻き上げ、この金で和解の祝賀会を開催し、双方の住民関係者が集まった。その中には蓮台と清助も含まれていた。
 頭取からの礼金三十円のうち十五円は町の子供たちに菓子を配り、残りの十五円は町の困窮者に分けた。
 十湖にはいつもの結末だが、名を残して、懐は一文なしで帰庵した。
 十湖とともに騒動の解決に奮闘した烏帽子園蓮台は、この結果には大いに喜び、数日後、礼状とともに十湖の庵に蓮台の句が届いていた。

   結ばれも解けて小春や壬生の里

(完)
0121

Ffutamatagakkoufunsou
  (当時の新聞記事)                                 

 

にほんブログ村 小説ブログ 歴史・時代小説へ
にほんブログ村

 

| | | コメント (0)

俳人十湖讃歌 第132回 二俣騒動(10)

 二俣川沿いの宿に寝泊りして幾日が経っただろうか。
 夕暮れが近づくにつれ、もやもやとした満ち足りぬ想いがもたげてくる。無性に中善地の我が家が恋しくなった。
 「わしがやらなくても誰かがやるだろう。問題は二俣の住民のことだ。たかが女から頼まれて軽く尻をあげってしまったが、無理なものは無理。どっちへ転んでも正義は正義だ。騒動の仲裁を諦めて、中善地の庵に帰ろう」
 十湖の口から弱音が漏れた。
 眼下のせせらぎまでも十湖の心境に同情しているように流れていく。
「先生、お客様ですよ」
 階下から宿の女将の呼ぶ声が聞こえた。
 客は役場の中堅の職員だった。
「十湖先生の斡旋案を、議会が受諾したので、お知らせにあがりました」
「そうか、そうか、やっと俺の案を呑んだか」
 十湖の顔に笑みが溢れた。
 十湖が仲裁に乗り出し、南北双方の言い分を聞いて作った妥協案は
 ①新二俣小学校の敷地は、金谷と皆原から長円山(現市民会館の位置にあった小高い丘)へかけて延びる丘陵及び清滝寺南端部とし、低地は丘陵部の土砂で埋め立てをすること。
 ②工事費は町の基本財産を取り崩して捻出するとともに、県からの借入金、町債で賄い増税や町民からの寄付金募集は努めて避けること。
 町会は十湖のこの妥協案に基づいて、二俣小学校の敷地を正式に金谷に決定した。 
 残暑だった頃に仲裁に乗り出したが、既に町には秋風が吹き十一月になっていた。
 町議会側の合意を機会に天長節を期してさらに仲裁に入り、いよいよ住民側も納得し一挙に和解が成立したのだった。
Futamata02 
 

 

にほんブログ村 小説ブログ 歴史・時代小説へ
にほんブログ村

 

| | | コメント (0)

2023年11月11日 (土)

俳人十湖讃歌 第131回 二俣騒動(9)

  議会はもめるだけで結論が出せず、町長は議長の職権で強行採決を図り、五対三(議員定数十二人のうち四名欠席)で原案どおり北部側の皆原案を押し通した。
 このとき南部の議員がなぜ欠席だったのか疑問が残るが、当然この結果には南部関係者は猛反発した。
 「町長及び北部議員の不信任」を求める署名を郡長に提出し、南部議員五名と鹿島区長は辞任した。
 そのため五月には町会議員の補欠選挙が行われたが、南部は候補者を立てず、当選者は全員北部出身者で占めてしまった。
 このことが町外で批判され、新聞でも取り上げられ、各地から壮士やらが乗り込んできて町民を煽り、町政批判の演説会を開いた。
 事態を憂慮した県知事は、池田郡長や郡会議員その他遠州地方の有力町村長らに調停の斡旋を依頼していた。
 十湖は既に公職を退いていたのでその依頼はなかったが、郡長時代の功績を見れば誰もが十湖の出番を待っていた。
 しかし、十湖はもうこれ以上何もできない、こう着状態の有様に幻滅していた。
 旅館から眺める二俣川の流れは、今は穏やかに下流の天竜川に合流していく。
 この川でもかつては何度も暴れたことだろう。
 そのたびに住民は立ち向かい解決してきて今があるはずだ。
 江戸時代には、代官に願い出て川口村地先天竜川堤を築き、二俣、川口両村を水害から救った男がいた。
 二俣村の名主川島重喜である。
 この男、俳号を鶏明と号し十湖と同じく嵐牛に師事していたが、明治三年に没し72歳の生涯を終えている。
 十湖は窓辺の柱に寄りかかり夕日に照り輝く金色の川面をながめながら、ひとり静かに俳諧師鶏明に思いをはせていた。
 
     我はただ帰りばもなし霜の道

Futamatagawa_20190626162001


(現在の二俣川)

にほんブログ村 小説ブログ 歴史・時代小説へ
にほんブログ村

 

| | | コメント (0)

2023年11月 4日 (土)

俳人十湖讃歌 第130回 二俣騒動(8)

  蓮台とは子供のときからの知り合いである。今回の学校土地問題でも蓮台と同様北部側に属していた。
 今宵は連れの若造らと博奕打ちのあがりで酒を飲んでいたが、話が未だに解決しない学校問題に触れたことで自棄酒になってしまった。
 そんな時、折り悪く十湖らが店先を通りかかってしまったのだ。
「何だ、姉御も一緒か。それじゃしょうがない。今夜のところは姉御の顔に免じて見逃してやろう。だが、問題の解決もしないのに、いつまでも二俣の町を歩かれちゃあ俺の立場もない。十湖先生よう、ここはひとつ賭けをしないか。もしあんたがこの件を仲介して解決させたならほうびに三十円をやろう。それを持ってとっととこの町をうせろ。だがよ、できなかった場合は俺にきっちり三十円よこせ。町の者みんなに手を突き、謝ってこの町を出て行け。期限は年内中だ」
 河童に仕立てられた清助は、酒の勢いを借りて一気にまくし立てた。
「清助とやらの云うことはわかった、約束しよう。乗りかかった船だ、いずれにしても解決せねばならんことだからのう。それに三十円の礼金までくれるとあっては、こんな美味い話はない」
 酔いが覚めかかっていた十湖は鼻で笑った。 月が変わり十一月二日、町議会に何度も顔を出し、口入をする十湖の姿があった。
 議長は十湖の提案には前向きで、議長室を訪ねればお茶の接待があり充分時間を潰した。
 だが議員の側は一向に十湖案を検討する兆しはなく、もはやこれまでかと十湖は諦めかけた。
 北部も南部も住民側は手をうてる事は全てやってきている。
 それにも増して風評やらで外部からの人間が入り込み、住民等を煽っていることが十湖には癪に障った。
 これまで十湖が双方の聞き込みや調整の中で知ったことは、二俣は全町民を巻き込み、町は南北に分裂して学童不在の校地騒動に発展してしまったということだった。
 南部町民(金谷派)は杉浦亀吉ら四名が代表し、町民四百三十人の署名を集めて請願書を町当局に提出したら、北部議員も負けじとばかりに皆原案を支持する町民らと一緒になって同じ事を展開する。正に泥仕合の様相となってしまった。
Tasiroke
(鹿島の田代家住宅)

にほんブログ村 小説ブログ 歴史・時代小説へ
にほんブログ村

 

| | | コメント (0)

2023年10月28日 (土)

俳人十湖讃歌 第129回 二俣騒動(7)

 句会の帰りは月が足下を照らし、灯はなくても歩けそうだ。久しぶりに酔った十湖にとって、歩く姿は覚束なかった。
 蓮台に付き添われて寺へ戻る途中のことだ。
 唯一明かりが点いて開け放たれた居酒屋の前を通りかかったとき、店の中から撚れた浴衣を着た三人の男たちが威勢よく飛び出してきた。
 十湖を取り巻くと
「この老いぼれ爺、タダ酒飲んでいつまで二俣にいる気だ。学校紛争の助太刀に来たなんて調子のいい事云って、なんら解決もしねえじゃないか。そんな野郎は用がない。いい加減にこの町から出て行け」
 若造のひとりが凄むと、ほかの二人も着物の裾をたくし上げた。
「目障りなんだよ。じじい」
「よそ者は出て行け」
 口を合わせて怒鳴った。
 蓮台が十湖の背に一瞬身を隠した。
「おやおや、河童が現れたか。出るところが間違っていないか。俺はじじいといわれるほど年はとっちゃいない。お前等はどこのどいつだ。初対面の人間に向かってそんなことを云われる筋合いはない」  
 十湖は怯むことなく、彼らよりも大きな声で云い返した。
 やくざな三人を河童に仕立て、案外落ち着いている。この二俣川には昔から河童が出たという言い伝えがあり、川下の油が淵あたりに出没し、子供を隠してしまう。ところが、それを助け出すのが、白髪を長く垂れ、身には白い衣を纏った翁の諏訪明神だったというのである。
「あら、清助じゃないか。そんな態度をするんじゃないよ、私の師匠の諏訪明神様だよ。わざわざ問題解決のために二俣まで仲裁に来てもらったのに」
 十湖の背後から、蓮台の切れ長だが涼しい目が清助を睨み付けた。
 清助とは堀部清助という博奕打ちで、きっぷがよく正義感が強い。中肉中背で女には好かれそうな甘い顔立をしている。河童とは似ても似つかぬ姿である。それにしては、やくざ言葉がどうに云っている。

Machinaka-kura
(現在の二俣裏通り)

にほんブログ村 小説ブログ 歴史・時代小説へ
にほんブログ村

 

| | | コメント (0)

«俳人十湖讃歌 第128回 二俣騒動(6)