十湖銅像創建
大正十五年四月二十五日桜も咲散り、春らしい陽気に迎えられた浜松鴨江寺の境内には昼の煙火の音が轟き渡った。
かねてから十湖の門人等で計画されてきた銅像の除幕式当日である。
高野山の管長を導師に招請し、十湖の銅像が現れたときには既に冷酒の振舞は底を尽き、出席者の手には記念の絵葉書があった。
銅像建設は二年前、県外の門人ら二名が主唱者となり、寄付始めから建設業者までの決定を進めてきた。
1年後には建設寄付金の累計が三千二百四十六円に至り、予定の額まではあと二割程度に迫った。
弟子の随処と江山は上京し、県選出国会議員の岡田、一木両大臣に会い建設への協力を求め、さらに最大の協力者として申し出のあった阿波の富田久三郎を訪ね銅像建設の特別援助と意見を聞いてきた。
翌月には寄付総額三千九百二十五円となった。
銅像の製作者は高村光雲の弟子で静岡県出身の山本瑞雲と決定し、建設予定日も十湖の誕生日である大正十五年三月十七日とした。
後日建設予定日は変更になる。
この時十湖は七十八歳、口を出すことなく弟子等の行動を見守ってきた。
周囲では十湖の性格がよる年波のせいか少し丸くなってきたかなと思わせるほどだったに違いない。
銅像に我霊入れん千代の春
銅像にとりまかれけり春の人
銅像に十湖の霊を自ら入れたためか、同年七月十日あの世へと旅立った。大往生であった。
ところでこの銅像は現在鴨江寺の境内には存在しない。昭和十九年八月戦時金属回収命令により供出、この時わずか石の台座のみ残った。
十湖は死してまで報徳の教えのひとつ「推譲」を実践したのであった。

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