琉球藺草の振興に十湖も肩入れ
先日の新聞(2014.6.3中日新聞)に「領民救ったイ草に思い 細江神社内で伝統の琉球藺 苗植え」という記事があった。
浜松市北区細江町の細江神社内にある藺草(いぐさ)神社の総代六人が一日、同神社で琉球藺の苗を植える伝統行事を行ったというものだが、今でも後世に残す行事をしている地元の方にまずもって敬意を表したい。
さて、このことに関連して俳人松島十湖宗匠が関わっていたことは案外知られていない。
明治14年、引佐麁玉郡長として気賀の地を踏んだ松島吉平こと十湖は、藺草で青莚を作成した後残りくずが多数出るのに、これを利用せずに捨ててしまうことに心が痛んだ。
あるとき藺草の廃物利用として養蚕用の網に利用したらどうかと思いつき、自ら制作し琉球養蚕網と名付た。
明治16年2月引佐の地に結成した農業者団体である西遠農学社の名目で養蚕網の使用方法と題する印刷物を配布、地域はもちろん県外にも頒布したところ好評で次々と製作し販路を拡大していった。
ただ説明書にはこの琉球藺草の養蚕網は天日にて干すことを禁じ、日陰で乾かせば数年を保つことができるとあった。
まさに地域産業振興の要因になり、細江史に残る引佐麁玉郡長時代の功績の一つとなったというわけである。
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