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2014年8月22日 (金)

伊藤嵐牛とその仲間たち特別展をみて

伊藤嵐牛といえば松島十湖にとっては若き日の俳句の師匠である。師匠亡き後嵐牛の俳号である白童子を継いだことでも知られている。
十湖が俳諧に目覚めたのは15歳の時、遠江国浜名郡有玉村(現在の浜松市東区有玉町)の俳人栩木夷曰の門をたたいたのが始まりである。
2年足らずで早くも頭角を現しはじめ、地域で知らぬものはなかったほど上達した。
ところが年号が慶応から明治と改元した十湖20歳の時、師が病没する不幸に遭遇した。
新たな師を求めて、このとき伊藤嵐牛の門に入ったのである。
新たな師のもとでは詩趣充実し、俳諧はますます磨きがかかっていった。
だが師弟の関係は長くは続かず再び師の没するのに遭遇する。
入門8年後の明治9年十湖28歳の時である。(このとき浜松県公選民会議員となり地域の有力者の中の一人となった)
亡くなる1年前には嵐牛の号白童子を継いでおり、遺言では小築庵橘田春湖に師事するよう伝えられた。

 特別展を見てみよう。
 江戸時代末期に活躍した掛川市出身の俳人伊藤嵐牛とその師弟らの資料を紹介する「ふるさとの俳人とその仲間たち」と題する特別展は掛川市大東図書館で8月から開催されている。
 これを知ったのは先日の新聞記事でたまたま目に留まったからだった。
 会場は一見して図書館の資料展示と云うより美術館や博物館にいるような錯覚に陥る。
施設設備の充実さに展示品が喜んでいるのではと思えるような重厚な感じがしたからだ。
 嵐牛直筆の句集や日記、俳句の掛け軸、短冊などは主催者側の注釈を記して紹介している。
 十湖の遺墨は「芭蕉から十湖まで」展示コーナーに短冊が一点のみ陳列ケースの隅に並んでいた。
 ほかには嵐牛発句集を紹介しながら十湖の筆による句集の一部を紹介していた。
 一通り展示を拝見し「・・・その仲間たち」と題する以上もっと弟子たちの詳細を紹介してもよかったのではと思ったが、嵐牛とのかかわりから紹介した十湖の短冊は見栄えこそしないが、師の追悼吟であったというから、それなりの位置付けがなされていたのだろう。

    御魂こそ不老不死なれほととぎす

 この特別展は掛川市立大東図書館にて10月12日(日)まで開かれている。

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