十湖と井伊家
今、浜松は大河ドラマ「おんな城主 直虎」で熱い。
観光、新商品、歴史の発掘、文化の育成など毎日の新聞紙面を飾り、テレビ、ラジオでもこの名を聞かない日はない。
最近になって「直虎」は女ではなく男だという新たに発掘された古文書が証し、一躍「直虎」のムードを高め井伊家に関心が寄せられている。
だが井伊家に関しては、明治時代すでにそのことを著している人物がいた。
俳人松島十湖である。
浜松市史によれば「自費で『引佐麁玉有功者列伝』を著して地域のために尽した人の伝記の集成をしている。」とある。
明治14年に引佐麁玉郡長を拝命し、5年間の郡長時代を経過したあと非職後3か年は郡長相当の待遇を受ける。明治21年その間の俸給をもって、かつて著した「引佐麁玉両郡有効者列伝」の後編を出版したのである。
この書は書名のとおり2郡の地域にとって貢献した人物伝であり、明治21年4月四六版2百余頁で編纂され、目次のトップが「井伊家紀伝」であった。
その内容は一條天皇寛弘七年に遡り平安中期 (1010)が井伊家の祖として今に伝わるものである。井伊家に関わるところは
「直親の子直政(二十三世)始めて二歳直盛の息女次郎法師(或云く婦人にして次郎法師と称すべからず必是誤りやと然れども古昔奇異の名多し臆説をもって古記を改むべからず今古記に従ふ)直政を擁立し代わりて事を執る。」
編者(十湖)は最後に、攘夷開港二論の国難の狭間に立ち国の文明を開いたのは直弼の功であり、これをもって論ずれば直弼の先は引佐郡の人であり、ひいては引佐郡は文明開化の元ともいえようと続く。
井伊家にまつわる明治21年の十湖による評価でもある。
(井伊谷風景)
| 固定リンク | 0
「取材余話」カテゴリの記事
- 十湖と井伊家(2017.01.23)
- 琉球藺草の振興に十湖も肩入れ(2014.06.22)
- イチョウの葉(2014.06.02)
コメント