活命料(3) 第329回
「もう一つの清貧とは?」
「赤貧とは反対に、常によく働き公共等のために尽くし、毎日営々として居る人にして不幸、天才、地震に遭って不遇、落蔭に暮らす者もいる」
「多くの民はこれに近いですね」
「これは同じ貧乏でも、人事を尽くして心に疚しいところのない者であって、清貧という」
「貧乏にも二つあるなら、富者にも同じことが云えるのではないですか」
「さすが随處だ。かつて、わしが報徳の会合で云ったことがあるが、富にも色々あって、濁福ものと清福のものとある」
十湖のことばに熱がこもってきた。
随處は返すことばを抑えて、十湖の次のことばを待った。
「勤勉推譲の道を守りて、よく働きよく勤め、分度を守りて富を致し、基金を学校のため道路のため、その他公利、公益となることに推譲使用することは、いわゆる清福じゃ。富貴の下に貴字の付く人で富貴の人という」
「富貴の人も我々の周りにいます」
「それはそうじゃ。人は富んでも人格を備えなければだめだ。人格を備えるということは、身は健全に、心は清潔にして一方は労働を厭わず、一方に慈悲にして世のため人のためにならねばならぬ。このようにして金持ちになった人が真の富貴といえる」
「それではもう一方の福とはなんですか」
「富貴とは反対にただ欲のみと書いて、悪事もかまわずに金を貯め、人の迷惑をも何も顧みず、何が何でも金さえあればよいというものじゃ」
「これでは人は殺さずとも世の中の悪党と同じではないですか」
「そうだ。僥倖を賛え投機を成し、果ては不正品の商売を為して国辱を思わぬような成金もある。これらがいわゆる濁福者といい、決して羨むものではない。国家をも害毒を流す富者だ」
十湖は強い口調で随處に説いた。
(掛川報徳社 昭和初期のころ)
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