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2019年7月 1日 (月)

活命料(1)  第327回

 明治三十四年十一月十二日、二俣紛争の仲裁で庵を離れていた十湖は、2ヶ月ぶりに我が家へ戻っていた。
 ゆっくり寝ていようと思っていたのだが邸内が騒々しい。弟子たちの声が甲高いうえに慌しく動き回っている様子だ。
「今朝は皆どうしたんだ。わしがやっと自宅へ帰ってきたと言うのに五月蝿くて寝ていれぬ」
 十湖は寝巻のまま立ち上がって不機嫌に弟子に声をかけた。弟子が返答に困っていると襖の向こうから妻佐乃の穏やかな声が返ってきた。十湖の怒鳴り声には慣れている。
「すみませんね。今そちらに行きますから」
「何が起こったのだ。また、随處の仕業か」
 十湖に無断で事を起こすのは、決まって一番弟子の随處である。この日も突拍子もなく慌ただしいのは随處が独断で決めた作業に違いないと思い込んでいた。
 弟子が持っていた書留の郵便物を取り上げて、十湖はすぐに事態を察した。
「いえ、今回は私が弟子の皆さんと話して決めたことです」
 佐乃がそう言えば、十湖は逆らわず何も言わなかった。金の事は弟子と妻に任せている。
 口出しする気は毛頭なかったが一ケ月の間、天竜二俣に出かけていたので邸は食い扶持の金がなくなってきたのだろう。
 常に蓄えを持たないのが信条の十湖宅では、句会が開かれなかったりすると、すぐに収入源が途絶えてしまう。それ以外は郵送で選句の収入が送金されてくるが不定期だ。 
 それでもこれまでは何とかなっていた。
 ひとたび十湖が宗匠として動けば、新たな入門者が増え庵には食い扶持が殖えていく。支出はいっこうに減るどころか増えていく一方なのだ。
 まもなく随處が外から戻ってきた。若干十八歳で十湖の門を叩き入門して、十二年目の暮を迎えようとしていた。
十湖の顔を見るなり
「お気付きでしたか。今、弟子たち皆で、活命料の寄付を全国の弟子や関係者に送ろうとしていたところです」
 随處は笑顔で得意そうに話した。
「ふふーん、活命料か。よく考えたものだ。活命ということばは活命茶とか呼ばれているので知られるが、活命料となると、こんな名詞は世の中に存在しない。これで相手に通じるとなると、十湖の存在は世間ではお見通しということだ。生きるためには金が要るとな」
 十湖は長く伸びた顎の白髭をなでながら鼻で笑ってしたり顔をした。

Yubinkyoku

(当時のまま残る笠井郵便局)

 

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