雨の訪問者(5) 第433回
十湖翁は他人に飲ませること、他人に食わせること、他人にものを与えることは屁のように思ってもおらん。
だから年中食客が絶えたことがない。乞食で御座れ、渡り者の壮士で御座れ、一切その差別はない。
多いときには十人も二十人もゴロゴロ食客が翁の墨摺りをしている。こうして翁の家は日一日と貧しくなっていくのであるが、翁は平気なもので他山の石のごとく眺めている。
その夫人もまたいやな顔一度だってしたことがない。食客大歓迎の家は天下広しといってもこの翁の大蕪庵以外にはないであろう。
酒が入った為か、座が開けてきた。妻佐乃は夕食の準備で席をはずした。
小原は三つ揃いの背広を脱ぎ、ネクタイも緩め胡坐をかいてメモを取り続けた。
翁はこちらが話しかけなくても回想して話を進めている。
時折口を挟むがそのたびに大きな声で笑う。根っから人と話をするのが好きな性分のように思えた。
「今はわしが年を取ったので食客が少ないが。訪ねてくればいつでも引き受ける、その代わりに俳諧を語るに足らぬやつは叱りつけてでもこれをやらかしてやる」
「これをやらかすとはどういうことですか」
小原は言う意味がわからず口を挟んだ。
「これとは墨を摺らせることだ」
十湖翁はまじめに応えた。
つまり俳句のハの字さえ知ってさえいれば、何十日翁の大蕪庵に寝転んでいても出て行けと迫られることはない。
主人も食客も同じ食べ物を一室に摂り、人間の平等に生きていくことを痛快としているのだ。
かつて国勢調査が行われた時、翁は「営業」の欄に俳諧、報徳、農業改造と記入して届け出たことがある。俳諧業というのもあるいは農業改造業と称する稼業も、おそらく天下一品のものであったろう。翁はいう。
「百姓は改造せねばならぬ。鍬をコチコチもっているようじゃ日本の農村は発展せぬ」
それは大農法を達観しての主張であり、またその実行するをもって業務と心得ているのだ。
「報徳業か、ハハハ、実は今小田原と野州とにある報徳社のそもそもは、このわしが祀る事を許された。品川弥次郎さんが内務大臣のときに一人で出願したところ、いやはや各方面から苦情が出て、神社を建てるくらいならなぜ相談してくれぬ。仲間に入れてくれるかとの談判にあい、とうとうわしは許可を得た膳ごしらへだけで引っ込み、それから後は例の金原なんかが世話を焼いて今日に至らしめたのだ。わしのこの話はマア品川さんが知っているだけでね、とにかく報徳宗の繁昌をなによりのなじみにしていることもわしの稼業のひとつなんだ」(次週金曜日に続く) (十湖夫妻の金婚式に撮る)
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