高野山紀行(4) 第441回
十湖は黄鶴に俳句関係の印刷を廻してやった。
そうすれば俳句から遠避かることもないだろうとの配慮である。
ゆえに俳句の方にも力を入れることになり、翌年二月には春雄、随処らととともに市内の北浜館で早春風雅会を開くに至った。
結果は盛況であった。
その上、黄鶴への心遣いが、弟子を大切にすると評価され、奇人にして人に優しいと、十湖の名声を一段と高くすることになった。
新愛知新聞の編集局長が、十湖のことを連載で掲載したいと訪ねてきたこともあった。
四月二十日には黄鶴が発起人となり、不動寺境内に十湖の句碑を建立した。
果樹園経営していたころに不動寺へ世話をかけてきたことと、十湖への黄鶴からの償いであった。
山の月心も高う眺めけり
既に芭蕉の句碑は弘化二年に地域の俳人たちによって建立されていたが、そのそばに十湖の碑が添う様に建てられた。
除幕式には十湖自身が出席しご満悦で黄鶴の望みどおりの結果となった。
だが店を切り盛りしていた妻が、病気で入院したとたん、瀬戸物店の客が減少し始めた。
仕事がうまくいかなくなると、身辺では疎んじられる。
「俺は何をやってもうまくいかない」
黄鶴は自らを責めた。
(不動寺山門)
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