若き日の富田久三郎(7) 第453回
三月五日には官軍は駿府城に入城して大総督府を設置し、四月八日まで駐屯した。
十一日には江戸城無血開城、続いて上野彰義隊との戦いを経て、慶応四年は同年九月八日明治と改元された。
保五郎と久三郎は同年六月に甲信両国の戦いから帰ってきた。
保五郎と久三郎が官軍として従軍したころ、村ではとんでもない紛争が生じていた。
村の旧幕臣市野内匠と大庄屋大村立左衛門との間で紛争が起こった。
当時村には市野家と大村家という二大勢力があり、いずれも地元で名家を誇っていた。
同年五月、天竜川の洪水で地域の農民たちは、これまでの風水害、大地震等でたびたび飢饉にさらされ凶作となり、米価も高騰し疲弊していた。
既に百姓一揆や打ち壊しが起きていて、それに危惧した市野家が年貢米の減免を時の代官所大村家に進言した。ところが代官の大村家は市野家を浜松藩庁へ訴えてしまった。
浜松藩は一村の減免を許すと、他村への波及は必至とみて市野家の主張を認めなかったのである。
八月二十八日官軍の捕方が市野家当主市野内匠を連行すると、市野家に同情し味方する村民や百姓たちが、阻止のため実力行使に及んだ。
この日、富田家には祖父保五郎と久三郎が従軍を終えて自宅に戻っていた。
早暁とはいえ夏の暑さに各家の者は起き出している。
「久三郎いくぞ。わしに続け」
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