若き日の富田久三郎(5) 第451回
父勘七は家業を継いでいるが、祖父とは違って根っからの勉強好き、特に蘭学には精通しており、近所の住人の病気治療もしてやっている。
だが家業の傍ら火術に関する研究などは一切しない。真面目に錺職と鍛冶に専念していた。
ところが生まれた久三郎は祖父のすることに関心があり、幼い頃から見様見真似で手伝いをしていた。
祖父が田原藩で獄に入った話は、久三郎が十歳の時で聞いても理解できずにいたが、後に衝撃的な出来事として記憶し、祖父の行動に興味が惹かれていった。
父勘七は久三郎に学問を教えるのが得意で、十六歳ころの久三郎は蘭学や家業を習得していた。
「じい様はすごい人ですね」
父の教授で蘭学を受けているとき、たまに西洋の薬学に触れると久三郎は保五郎を尊敬する口調で返事をした。
それを見た母ゆきが将来を不安げにしているようであった。
慶応三年(一八六七年)暑い盛りに、ええじゃないかと踊り狂う一群が毎日次々と村を通過していく。穏やかだった村の街道は一段と騒々しくなってきた。
久三郎は何かが起こる前兆なのかと興味深く見つめていると、勘七が苦り切った顔で一言呟いた。
「久三郎、今に世の中がひっくり返るようになるぞ」
久三郎は父の言葉の意味が、まだ理解できなかった。
翌年一月、保五郎とともに久三郎は戊辰の役に従軍する。保五郎が鉄砲作りや火術に精通しているところから特に藩から目をつけられ従軍を命ぜられたのである。
所属は官軍の東山道征東軍尾張藩付家老・犬山城主のもとで、信州塩尻に出征し戦った。この時保五郎は六十五歳、久三郎は十七歳であった。
「子供を戦争に駆り出すなんてひどい」
ゆきは怒って泣いていた。
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