若き日の富田久三郎(1) 第447回
大正13年10月26日大木随處は伊藤江山と連れ立って阿波の地を踏んだ。十湖の 銅像建設委員会の一員でもある富田久三郎宅を訪問するためである。
久三郎は俳号凌霜と呼ばれ俳句も熟す富田製薬の社長で、四国の地では出世人として一目置かれている。
浜松市野村の出身で十湖とは報徳の教えを事業に役立てている共通点があり、かつて十湖が気賀で郡長をしていた頃は地域の報徳社の推進にかわっていたことがあった。
徳島県鳴門村の自宅で待っていたのは社長本人で、快く迎え入れてくれた。
「遠いところをよく来てくれた。十湖宗匠はお元気ですか。銅像建設の事情はよくわかっているので経緯を聞かせてくれたまえ」
富田は笑みを浮かべながら、随處から手渡された書類一式を開き始めた。
銅像建設委員会の委員長である伊藤江山が、これまでの経緯と現状を説明すると、用意していた小切手に自己の名で300円、そして匿名にしておいてくれと言って1,700円の金額を書いた。江山と随處はあまりの寄付額に多さに深々と頭を下げた。
「そんなに気にすることではない。せっかくここまで来てくれたのだから寛いでいきなさい」
富田は手を差し延べて雑談を始めた。
二人は出されたお茶を飲みながら恐縮していたが、随處は聞きたいことがあるらしく社長に訊ねた。
「私は社長がどうしてここまで会社を大きくすることができたのか、この際ぜひ伺っておきたいのですが」
すると久三郎はゆっくりとした口調で、昔話だと弁解しながら語り始めた。その目はまるで若者のように爛々と輝いていた。
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