若き日の富田久三郎(17) 第463回
この時の製法は原料である粗製硫酸マグネシウム(苦汁の結晶した通称ツボガリを精製したもの)を大阪の問屋で求め、また一方煙草の茎を何百貫も購入し、これを焼いて灰にし、水に溶かして濾過し精製液を作る。この両者を反応させ化学変化させた。
名古屋から戻った三月には研究の域を脱して待望の純良品製法の完成をみたのである。
早々に気賀の工場を整備して製造を始めると、まだまだ工場の能力に余裕があるので、併せて酢酸、硫酸、酒精エーテル等の製造もおこなった。
だが、稼働してみたら久三郎に届く商品需要は多いのに、生産が追いついていかなかった。
「これでは量産ができない」
久三郎は工場で働きながらいつも嘆いていた。
原料の苦汁は浜名湖の宇布見塩田と愛知県吉良町の吉田塩田の副産物であったが両塩田は規模が小さく苦汁の産出も乏しく、量産は無理な状態であった。
ある日、市野村塩問屋の池谷孝蔵が阿波から塩を買い付けていることを知り、
「孝蔵さ、わしのところへも阿波から輸送してもらえんかのう」
「塩なら帆船で輸送して商っているから融通できるが、お前のところは塩じゃないだろうに」
孝蔵は不満そうな表情で久三郎に聞き返した。既に事情は知っているようである。
「ようわかっているな。今どうしても苦汁の量が入用なのだ。だめなら塩生産の副産物である硫酸苦土でもいい」
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