若き日の富田久三郎(33) 第479回
この日工場から出てきた久三郎の様子がおかしい。両手が震え笑っているようだが、眼は宙を泳いでいる。
「何か良いことがあって」
きぬは久三郎に訊ねてみたが夫の説明は意味不明で、その夜家族一同はご機嫌の夫に振り回されていただけであった。
きぬはこの日の夫に何が起こっていたのか後で知ることになる。
年が明け明治二十三年(一八九〇)二月、久三郎は静岡県で初めて実施された内務省薬舗開業試験に合格し二月には薬剤師免許の交付を受け市野村で薬局を開業した。薬舗兼製薬工場の運営は順調で炭酸マグネシウムの需要の増加に伴い、事業を拡張し雇う職工も増えていった。
さらに昨年の研究結果は、失敗どころかわが国で初めて苦汁中の塩化カリウムの分離製造に成功したと業会で絶賛され、学界においても高く評価された。
同年八月、東京医科大学教授下山順一郎薬学博士が東京大学の学生を引率してこの市野村の工場視察に来る。
「製品は純良です」
下山博士は賞賛し、工場の全製品を東京帝国大学の薬学教室に模範標本として備え付けられることになった。
| 固定リンク | 0
「富田久三郎 明治の化学者の若き日々」カテゴリの記事
- 明治の化学者 富田久三郎の若き日々「くろもじの花」(2021.04.11)
- 若き日の富田久三郎(36) 第482回(最終回)(2021.02.14)
- 若き日の富田久三郎(35) 第481回(2021.02.12)
- 若き日の富田久三郎(33) 第479回(2021.02.08)
コメント