若き日の富田久三郎(30) 第476回
久三郎は、雨が続く日には店先の番台に頬杖を突いたまま外を眺めている。
再び家業が軌道に乗ったというのに、きぬは浮かぬ顔をしている夫の肩に手をそっと置き囁くように云った。
「お前さんは悔しくはないですか。苦汁が集まらないのは誰の所為でもないでしょう」
「そのとおりだ。しかし相手がある」
「時間がたてば相手だって変わります」
「瀬戸内へ塩田調査に行って以来八年以上になるが、塩業だってやり方が変わっているかもしれないな」
「そうでしょ。だから瀬戸内をもう一度調査するということなら」
「お前は物分かりが早いなあ。要するにそういうことだ」
「梅雨に鬱陶しい顔を見ているのはもうたくさんですよ」
きぬはお道化調子で嘲笑しながら応えた。
それに気を良くしたのか久三郎は
「それじゃあ早速明日にでも出かけるか」
すっくと立ちあがるや否や、支度しに工場へ走った。
再び十州塩田地帯を踏査する。明治二十一年のことである。讃岐、阿波には協力者もいるし今回の旅はきっと有意義なはずだと期待した。
現地へ着いてみると思っていた不安が的中していた。
前に久三郎が踏査に来たときは、苦汁を採取していたのは湯元塩田と徳島県の撫養塩田の一部だけだったが、苦汁の利用は旧態以前で何の進展もなかった。
前回同様に踏査にあたり、苦汁の採取と廃物利用の抱負を説いてみたが、どこも賛同してもらえなかったのである。
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