俳人十湖讃歌 第37回 管鮑の交わり(2)
しかも次々と建議書が提出されるので閉口してしまったのである。
さらに郡長を集めた会合を開催したいと、自らの経験を含め意見を申し立てた。
「郡治の大勢を概観して、その必要あるときは毎年二月と八月の二回県下各郡長を招集して郡治の状況を聴きたいと思います。郡長の職掌は上意下達の県政の取次所となって、昔日藩政のみ醜弊を譲出せしものでは人民は世間に気兼ねしながら暮らすことになります。民治利益を優先し細事に至るまで民情理解していくことが重要であります。ついてはまず、毎年両会の会議を開き治体の利害得喪を切磋あらば自然施政も一途に帰し、上下円満方悪習を取り除き、人民の利益に貢献することなりと確信するものです。」
同会が早晩開会されることは誰もが予想し得ることであるが、吉平はそれを率先して論じたのである。
先見の明あるというのか、時宜に適したことをいうものであった。
これは県官吏としてなす一部であり、以後在職中には県令の目に留まる事項が多々あった。
明治十四年、県下の引佐有玉の二郡は未だに幕末時代の習慣に囚われて新しい世に遅れつつあった。
しかも初代郡長気賀半十郎は改革するだけの能力もなく、他郡へ異動させられていた。
県は新しい郡長を誰が適当か迷っていたのである。
(明治村にて)
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