俳人十湖讃歌 第42回 管鮑の交わり(7)
親友吉岡弘も、とうとう涙ながらに大きな声で、頓馬野郎か向う見ずに走るを送ると題し
四海なみ静岡たちてゆくか馬鹿
引佐細江は風かあら玉 星秋
と風刺して会場を湧かせた。
「行くか馬鹿これをしてゆくか君」と改めれば単に友を送るの語りとなり無味であること明白である。
しかし、ここ一番奮って馬鹿と云う、まさに吉平と吉岡の友情は厚くして、「管鮑の交わり」の交友関係を見た思いであった。
「管鮑」の「管」は春秋時代の斉の管仲、「鮑」はその親友の鮑叔のこと。
管鮑の交わりとは、互いに理解し信頼し合った、きわめて親密な関係をいい、 親友であった管仲と鮑叔が共に商売をしたときに、貧しかった管仲は自分の分け前を余計に取ったこともあったが、鮑叔はそれを知っても一言も責めなかった。
それどころか、二人の友情は深まるばかりで、鮑叔は斉の宰相に管仲を推薦したり、管仲は「我を生みし者は父母、我を知る者は鮑叔なり」と語り、二人の友情は生涯変わることなく続いたという故事に基づく。
のちに吉平はそれらを集めて「細江凪集」と題する小冊子に纏めていた。
二日後、妻と二男藤吉を自宅に残し、単身赴地に入り郡役所所在地たる引佐郡気賀村に居所を構えた。
その寓居を山色水楼と名付けたのである。
(完)
(現在の奥浜名湖気賀の風景)
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