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2022年8月 9日 (火)

真筆・十湖の句と風景(9) 夏しら波

     月や風や夏白波の海と湖

 明治39年浜名湖弁天島の地において十湖58歳のとき詠んだ句である。(真筆では「白波」だが発句では「しら波」)
 この年は弁天島にとって一躍脚光を浴びた年となったようだ。
 7月東海道線の弁天島駅が開業した。
 海水浴の普及に伴い国鉄がてこ入れして開業するに至ったものだが、それは期間限定の仮駅だった。
 そうはいっても地元にとっては念願の駅ができたことから、盛大に開業祝賀会が開かれ十湖も招かれたはずである。
 詠まれた句は風流風雅の先端を行く自然描写の句であり、十湖にとって少しばかり穏やかな気持ちがこの句に現れている。
 これより1年前、十湖は信州への俳諧行脚をしている。
 信州の門人からの招待によるもので、当分の間は家族ぐるみで俳諧の普及と句会を開き自らの苦悩を断ち切るかのように行動していた。
 そのわけは明治37年次男藤吉こと四時庵友月が日露戦争で戦死し、葬儀やらその悲しみから四苦八苦の十湖であった。
 その十湖を慰めようと信州の和楽園欣采が招待をくれたのだった。
 この行脚は十湖にとってまさに慰労の旅になったに違いない。詳しくは当ブログの「姨捨紀行」をごらんいただきたい。
 帰庵後の明治39年はいつものとおりの正月を迎え、6月には浜名郡会議員三期目の満期となり一切の公職より去る。以後報徳と俳諧に専念することになった。
 そして迎えた弁天島駅の開業祝賀式再び大きな気炎が吐かれるかと思いきや、言われるほどの奇行ぶりは見せなかったようだ。
 次男友月の死はよほどのショックだったに違いない。
    月や風や夏しら波の海と湖
 浜名湖の昼夜の自然風景を淡々と描いているこの句は明治41年、新居弁天の弁天神社の境内に建碑され現在も残っている。

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