俳人十湖讃歌 第88回 尊徳の遺品(12)
明治二十四年、尊徳に従四位が追贈されたことをきっかけに、報徳社の人々の間に、尊徳を祀る神社を創立しようという動きが高まり、十湖もその一人として運動を始めた。
そうした中でも、いち早く相模の国報徳社社長福住正兄、遠江の国報徳社社長岡田良一郎、駿河の国東報徳社社長牧田勇三の三氏は、遠駿相報徳社社員総代として、野州芳賀郡物部村櫻町へ報徳二宮神社建立を実現させようと、国に対し請願をした。同年十月のことである。
運動の盛り上がりもあったせいか、すぐさま同年十一月には許可が出た。
ところが各地の報徳社員は、この案では地理が不便であってよろしくない。しかも、報徳社員の幹部連中の一存で決めて出願したことに不満を表明した。
その先鋒が十湖その人であった。
今度は自らが七カ国の報徳社総代を集め協議をしたところ、翌年三月に今市と小田原の二箇所に神社を建立しようと決定した。
しかし、既に櫻町への創建が許可されているため、この指令を取り消す必要に迫られた。
同年八月十五日、十湖は報徳社員一万人の総代として内務省に取り消しを願い出た。
時の内務大臣は品川弥二郎、辞任間直の接見であった。
このとき、併せて「報徳二宮神社創立願書」を提出した。
各地の総代とともに、岡田社長の筆頭名で出願し、直ちに許可を得たのである。
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