鶴氅のゆくえー「尊徳の遺品」顛末記(8)
さつきは売り言葉に買い言葉で翔太に食い下がった。
「二宮金次郎は江戸時代末期の農家に生まれ、貧しい少年時代を過ごしたのは知ってるね」
「そんなの誰だって知っているわ。ついでに言わせてもらえば彼は一日中真面目に働くので本を読む時間がなかった。銅像を見れば一目瞭然、薪を背負っての道中に書を開き勉強したのでした」
「そのとおり。でも僕らはそれ以上のことを知っているはずだ。掛川には、尊徳の思想を後々まで伝える報徳社がある。幼い頃学校で叩き込まれたはずだよ」
「他所のところはそれがないって言いたいわけね。自分の知識はこの地で養われた。だから金次郎のことはもっと深く説明できるはずだと」
「つまり薪を背負って勉強しましたというのは誰でも知っている事実。でもその勤勉さが小学生の理想として、手本として伝えたらどうだろう。金次郎が果たした農村復興や藩の財政立て直しの話をすれば子どもたちはきっと興味を引くはずだ。エピソードは多いしね」
「聞くところによれば金次郎の像が全国の小学校に建ったのは戦争突入の頃だって。金次郎のまじめな性格が国家総動員体制に突き進む思想形成に都合が良かったからと」
「それは一部の思想家の考えさ。結果的にそうなったのでは。むしろ現代は国民が自然現象のすさまじさにさらされるとき。金次郎のような生き方考え方こそ自然の脅威に立ち向かううえでは必要なことではないかと思うよ」
「翔太さんはなかなか雄弁家ですね。そもそも国策として思想形成に利用するなんて言うのがおかしいわ。彼の偉業を知らない輩が言うことですね」
「おやおや、さつきちゃんだって変だよ。偉業を知っているの」
「そうだ思い出した。小学校のとき作文書いたっけ。このことを」
「知らないなあ。僕とはクラスが違っていたしね」
翔太はもうこの話はうんざりという顔をしていた。
「この足で大日本報徳社まで行ってみない。私聞きたいことがあった」
さつきが思い出したように翔太を誘った。
「いいけど急にどうしたの。聞きたいことって」
翔太が心配そうに訊ねた。
「小学校のときの作文には金次郎のことではなく、姫スイカのことを書いたの思い出した」
「食べ物のことか。さつきちゃんが思い着くことなんてそんなところかと思った」
半ば呆れ顔に翔太は首を傾げて言った。
「だって当時はまだ小学生よ。じいじが云っていた金次郎こと尊徳の話は難しかった。でもね。今、思い出したことがあったわ」
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