鶴氅のゆくえー「尊徳の遺品」顛末記(11)
今年の桜の開花は例年にもまして早かった。
地球温暖化のせいもあるのかなと思いながら、さつきは新幹線に乗り込んだ。
掛川から小田原まで一時間余で早いものである。
さつきは翔太と一緒に大日本報徳社を見学して以来、図書館で報徳関連の本を読み漁っていた。
戦時中は時の政府と軍部がこの思想を利用して戦争を美化していたという説もあるが、教育者となったさつきにとってはそんなことより報徳の精神そのものが今の子供たちには不可欠なものだと思えた。
報徳の教えは四つの柱で構成されていて、至誠、勤労、分度、推譲ということばで表されていることを知った。
赴任先の小学生たちに二宮金次郎のことを「働きながら勉強しました」という紹介だけはしたくないと心に決めていた。
さまざまな想いに囚われながら、車窓の風景を眺めているうちに、いつの間にか小田原駅に着いていた。
駅を出て小田原城を目標に歩き出すと、堀の反対側に目的の建物「報徳博物館」はあった。
館内が薄暗く省エネのせいかと納得した。
展示スペースが二階の常設展示室のみであったのは意外だった。
さつきの想いとは裏腹に期待を削がれたような感じがした。
館内は一見して尊徳の遺品類をはじめ、書画などが展示されている。
順路に沿って解説を拾い読みしながら陳列の中を覗いた。
目指す鶴氅は遺品の着物類と同じ洋服ダンス大のショーケースに収まっていた。
遠目でもこの羽織だけは目立った。
格調高く浅い紺色の地に真白い綿毛のような繊維が織り込まれている。
やはりあったのだ。鶴の反物がとうとう私の目の前にある
大きな声で叫びたかった。館内の観覧者は自分だけである。
さつきは発見した喜びが先に出て解説まで読んでいなかった。
当然、所蔵時期や寄贈者の名もあるだろう。すべてはここで確認ができる。
鶴氅の由来も相馬候からの贈り物とあるはずだと思っていた。
「え、まさか、そんなことありえない」
(報徳博物館パンフレット)
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