鶴氅のゆくえー「尊徳の遺品」顛末記(12)
展示品の右に張られている解説を一読するなり金縛りにあってしまった。
ついさっきまでの期待は脆くも崩れ去ってしまった。
「後年鶴の羽毛を織り込んだものと誤認され、鶴氅と名付けられたが、実は木綿の生地の表面を起毛したもの。早期の起毛の実例として技術史的にも貴重な資料。尊徳の晩年、栢山村の岡部伊助に贈った。十八歳で叔父万兵衛の家を出て、まず厄介になったのが名主岡部善右衛門だったから当主に贈って恩義に報いたのである」
さつきは自分の目を疑った。たった今、羽毛の羽織を見て本物ではと思ったのに、書かれている事は想定外のことが記されている。
これは何かの間違いではないか。思いもかけなかったことであった。廊下で呼吸を整えながら、館側に聞いてみようと決めた。
もしこれが事実なら、以前から紹介されていた鶴の反物は表記が誤っていたことになる。
さつきは階下の受付へ戻り、声をかけて見た。
「どのようなお訊ねですか。私は学芸員の葉山と申します」
静かな物腰でさつきに訊ねた。
「展示してある鶴氅のことですが、いつごろから所蔵されているのですか」
さつきは本当に聞きたいことは後回しにして、学芸員の対応を確かめたかった。まず、当たり障りのない質問をしてみた。
「ここができたのが一九八三年の昭和五十八年です。このときには既にありました」
学芸員はあっさり応えた。口ぶりから五十歳位かなとさつきは思った。この分なら意外と詳しく経過を知っているだろうと判断した。
「所蔵品の解説文には二宮神社所蔵分とありましたが、つまり館のできる前は神社に所蔵されていたということですね」
「そういうことになります。博物館の向かいにある神社がそうです。明治二十七年に建てられましたので、それ以後に奉納された可能性が高いと思います」
「そうですか。ありがとうございます」
ひとつの用件は終わったと思った。学芸員の顔にも笑みがこぼれた。次に自分の質問の本筋を聞こうと再び訊ねた。
「鶴氅の解説文ですが、あれは開設当時から同じ内容ですか。ひょっとして替わっているとか」
さつきは遠まわしに質問した。
(報徳博物館パンフレットより)
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