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2023年7月29日 (土)

俳人十湖讃歌 第112回 東北漫遊(1) 出立

 群長の職を辞して以来19年の歳月が流れていた。
 五十三歳になった十湖は、地方俳人として押しも押されもせぬ筆頭の地位にあり、県会議員、引佐・麁玉郡長の要職を歴任し、いまや悠々自適の俳句三昧の日々を過ごしている。
 春とはいえ冷たい風が刈田を抜けて邸にとどく。
   明治三十四年三月の初め、いつにもましてこの日の朝は爽やかに目が覚めた。
 東京行きの往復の旅費が何とか工面ができ、今日は出立の日である。
 旅に出るといえば誰しも日程、宿泊場所を事前に検討し、掛かる費用の金も用立てておかねばならない。      
 十湖の旅は、上京するだけが目的とあって、とりあえず東京までの旅費があれば十分であった。
   玄関前には人力車が到着し梶棒を下ろした。
 いつもの車夫が長いキセルで紫煙を燻らしている。その煙が時折忙しく揺れる。 
「いつもすみませんね。すぐに出かける用意が整いますから」
 十湖の妻佐乃が、外で待つ車夫に気遣って、柔らかい物腰で声を掛けた。
「へえい、毎度の事ですから気にしないでくだせえ」
 車夫の松五郎は笑いながら頭をぺこりと下げと、佐乃は申し訳なさそうに笑顔を返した。
 まもなく、白い髪を顎にたくわえた十湖が黒い茶人帽を被り、杖を握って弟子たちに見送られながら出てきた。
  この日天気は快晴、まさに良い日旅立ちである。
「行くぞ。松五郎」
 一人用の人力車にドンと腰を降ろし車夫に声をかけた。
 人力車はまっすぐ南に向かい冬枯れの田んぼの畦を走り抜けていく。
 邸から東海道本線の天竜川駅までは、人力車で一時間とはかからないだろう。
 駅は金原明善が木材の輸送を行うため東海道線に停車場の設置を申請していたものだが、明治31年7月になり天竜川駅が設置され旅客輸送も行われるようになっていた。
 やがて東海道の松並木が見えてきた。車夫は車を右に切り、中野町街道に入る。
 中野町の名の由来は、江戸と京のちょうど真ん中に在るから名付けられたというが、そのせいもあってか商い店の家並みが続き立派な土蔵も見える。
 天気がいいのも幸いし十湖の機嫌を一段と良くした。
  ――けいせいの道中ならで草鞋かけ  茶屋に途絶えぬ中の町客
 まるで都都逸でも唸っているように大きな声を上げた。
「十湖様そりゃあ誰の唄ですかい」
 松五郎は十湖の調子がいいのにつられて訊ねてみた。
「こりゃあ十返舎一九が東海道中膝栗毛の中で詠んだ歌だ。わかるだろう、中の町の茶屋の賑わいさ」 
 十湖は車上から大きな声で松五郎に語りかけていた。

Kurumaya_2
(当時の人力車)

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