俳人十湖讃歌 第116回 東北漫遊(5)談合
十湖は、藤三郎には句碑のほか二宮尊徳生誕の地の樟苗百株、観音菩薩の石像一体、自吟の碑石一基を寄贈した。
「鈴木氏が十湖翁からの贈り物を溺愛してくれれば、いつか翁の祠殿を造る時には木も大きくなり、きっと役立つだろう」
出席者の一人山本湛翠が短い祝辞の最後に語り、会場の失笑と拍手を招いた。
式典のあとは宴会となった。
十湖は気を許してぐびぐびと酒を飲んでいた。
「それにしては随分と式には人が集まったものだ。藤三郎の人徳じゃ。わしだって自分の門人が一万人いるから、東京まで出てくると、どこにいても門人等に会うことができる」
いつもの負けん気で鼻を鳴らした。
宴がたけなわとなったころ、一人の若い男が十湖の前に徳利を持って現れた。
(藤三郎邸図)
波瀾が起こることを予感していた藤三郎だったが、まさか今度は東北まで旅をしたいと十湖が言い出すとはいささか呆れ顔であった。
昨日の式典後の宴会で、宇都宮の日日新聞記者と意気投合してそんな話になったようだ。
十湖が言うには明日、宇都宮駅前の白木屋旅館で日日新聞記者の石倉翠葉氏と会う予定で、この旅館を中心に東北を吟行するという。
だが、着の身着のままで上京してきてしまったので着ていくものがない。ついては何か貸してくれと十湖にせがまれた。
翌日、宇都宮駅前の白木屋旅館に、真新しい着物を着た十湖の姿があった。
白木屋旅館といえば東北本線が開通し宇都宮駅が開業した日に、初めて駅弁を作ったことで世間には知られていた。
当時の駅弁はおにぎり二個にたくわんを添えたものだったが、評判はすこぶるよく経営上り調子の旅館であった。
待ち合わせの会場へ新聞記者石倉がやってきた。
二八歳になるが背広姿が落ち着いて見え、記者にしては眼が優しい。
昨夜宴会の席で、十湖に今回の旅を提案してきた男である。
今日は隣に連れが一人いるようだ。
「吟行には文章の書き手も必要だが画家も入用でしょう。そう思って画家の青木香葩(こうは)さんを同行してきましたが」
石倉は初老の男を紹介した。
男は六十歳に手が届く年齢かと思われる。髪は短く刈上げ所々に白いものが目立った。
和服姿で手に画帳を提げて少しばかり腹が出て恰幅がいい。
十湖にとって青木は初対面である。
石倉が言うには画家としては地元で知らない者はなく、俳号を池畔亭葩笠といい俳句にも精通しているという。
青木香葩は上州館林に生まれた容斎派の画家で青木翠山の養嗣。松本楓湖の弟子である。
小林古径に歴史画を教えた画伯でも知られ、後に古径は文化勲章を受章している。
「旅は道連れ、これといって断る理由もなし」
十湖は上機嫌で明日から三人で旅することに決めた。
「それじゃあまずは出発を祝って酒宴でもあげますか」
石倉がそういうと、酒が来るまで車座になって部屋で待った。
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