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2023年8月26日 (土)

俳人十湖讃歌 第119回 東北漫遊(8)毒舌説法

 十湖は酒を追加注文し、飲みだしては、またしても気炎を吐き始めた。
 矛先は青木画伯である。
「わしの荷物を持って先に部屋へ帰っておれ。俳席は我らだけでやる。画家には用はない」
「何だと。画家のわしに向って邪魔だというのか」
 青木も酒が過ぎており、売り言葉に買い言葉になってしまった。
「そうだ。画家の分際で俳句の席に居るのは邪魔だ」
「まだ云うか。わしはれっきとした画人だ。分際ではないわ。青木様と呼べ。この俺に向かって失敬千万だ」
 もはや石倉の仲裁には入る余地がなかった。
 怒る十湖の顔も尋常ではない。
「様を付けろとな。様をつけるのは人に付ける尊称だ。ほんとに後の世まで呼ばれる人は世界広しといえど数指の人にすぎず。その中におまえは入るのか」
「そんな意味で云ったものではない。ただ呼びづてにするなというのだ」
 手が震えている。青木は持っていた茶碗を、思いっきり庭先へ叩きつけた。
 十湖がさらに続けて云う。
「いまだに後の世まで呼ばれる人物は、かのお釈迦様とか孔子様とかの数指の人にすぎず、これは他国のことだが。我が国においてはお大師様とか、芭蕉様とかはその数指に数えられる」
「うーむ」
 青木は大きくため息をついてうなった。十湖の説法は留まることを知らない。
「かつて井伊直弼が横浜のために尽くしたことを思い、横浜の豪商大谷喜兵衛が銅像を建設しようとしたことがあった。ところがこれを邪魔する輩が現れて、建設をやめれば勲四等に叙するとか甘い言葉で誘ってきた」
「それがどうしたというのか」
 怒りが収まりかかった青木が言葉をつないだ。
「云うまでもないが、大谷は少しも志を変えず、建設の業を終え故人の徳を称えた。だから大谷様とか嘉兵衛様とか言われたのだ」
 傍で聞いていた石倉も腕組をしながら聞き入っていた。
「同じ横浜の人で巨万の富を貯えた平沼専蔵という男がいたが、何ら徳もなければ金だけがすべてという人物だった。人呼んで平専という。いかに社会的地位の異なるを見よ」
 そのうち左手を腰に付け、右手は宙をつかんだ。まるで自由民権運動の壮士の演説さながらである。
「悪かった。つい感情で尊称をつけよと迫ったが、そんな意味はなかったのだ」
 少しずつ酔いが醒めてきた青木は小声で呟いた。
「くどいがもう一度云う。古きより虎は死して皮を残し、人は死して名を残すという。されどその名も清く、死後も多くの人より様なる尊称を付けられることこそ人としての本望なり。徳をつみ努力すれば誰しもその域に達することができるはずだ」
 酔っていても理路整然とした十湖の話に青木は舌を巻いた。
「なるほど、要するに人は財産を独り占めしないで、勤勉であれ、しかも公益になることは共同で一致して実践するというならば、徳をつんで努力すれば後の世で様の尊称で呼ばれることもあるということですね」
 酒に酔って詰まらんことでお説教を食らってしまったと、青木は頭を掻いて自らをなだめていた。

Soshi

(教科書に載る壮士像)

 

 

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