俳人十湖讃歌 第114回 東北漫遊(3)鈴木藤三郎
東京駅に降り立つと、背広姿の鈴木藤三郎が改札口で手を振っている。鼻の下のなまず髭が目立った。
「せっかく東京まで来たのだから、どこか行きたいところがあれば案内するが、どうかね」
と藤三郎が誘う。もちろん社交辞令のつもりで言ったのだが。
「天気も良いようだし、ぜひ鎌倉へ行ってみたい」
十湖は、はしゃぐようなそぶりで、うれしそうに応えた。十湖には遠慮と云う二文字が念頭にはなかった。
「鎌倉なら自分の別荘がある。それなら私も一緒に行こう」
費用は勿論言い出した藤三郎が負担するつもりだった。
この日は藤三郎の私邸に泊まり、翌日、彼に案内されるまま鎌倉へいく。
鎌倉八幡宮につづく沿道は出店が多く賑やかで、十湖の頭には次々と句が浮かんでくる。
最初は並んで歩いていたにもかかわらず、いつしか十湖は数歩先を歩いていた。
吟行の際のいつもの癖か、立ち止まっているかと思えば、次の地点へ突然移動する。動きが頗るコミカルだが早い。
後についていく藤三郎が八幡宮に差し掛かった時、先に歩いて行った十湖の様子がおかしいのに気付いた。
みすぼらしい着物を着た十一、ニの娘が、産まれてまだわずかしか日立ちせぬ子を負ぶっている。十湖はこの小娘に言葉をかけているようだ。
「お前には親はいないのか。どうしてここでそんなことをしているのだ」
「母ちゃんがいるけど、病気で寝ているんだ。だからこうして奉公に出て金を稼いでいるのさ」
「父ちゃんはどうした。母ちゃんの病気は治るのか」
「父ちゃんは去年死んじゃった。母ちゃんの病気は胸の病だといっていたけど。弟が母ちゃんの側で看病している」
「それはかわいそうに。お前たちはいい子だ。これで、せんべいでも買って食べなさい。母ちゃんに孝行せえよ」
十湖は目に涙を貯めながら、屈託なく話す小娘に懐中から五円紙幣を出して渡した。
菓子を買えといって五円を差し出すとは、小娘にとって法外な額だったに違いない。
藤三郎は涙脆い十湖の姿に、意外な一面を見た思いであった。
二人がその場を立ち去ると、近くの店先ではその様子をじいーと見ていた店主らの顔があったことを十湖らは知らない。
「またかい。あのふたり人助けでもしたと思ってるけど、なんだい子らの態度は」
「まったくだよ。芝居がかっている」
店主らは口々に呆れた様子で、どちら側にも同情はなかった。
「よりによって、あんな子供に五円もくれてやるなんて、初対面だというのに大人が手玉にされているとは思わないで、ばかだねえ」
「それに子供の母親らしき女がその金をしっかり巻き上げちゃってね」
「ほんとだねえ。髭の爺さんもお人よしだよ」
一方、鎌倉見物を終えた十湖と藤三郎は楽しい吟行となったことに気をよくしていた。
「来る時に、子守をしていた小娘に同情して、持っていた金を全部呉れてやってしまった。悪いが帰りの旅費を用立ててくれんか」
十湖が、歩きながら申し訳なさそうに鈴木にせびるのだった。
(鈴木藤三郎)
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