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2023年8月31日 (木)

俳人十湖讃歌 第120回 東北漫遊 (9) 子平墓前

 翌日は仙台一の料理店對橋楼で書画会が催され、十湖が招待を受けて出かける事になった。
 地元紙が仙台に十湖が来ていることを掲載したことで盛会であった。
 ところが、行った筈の十湖がいつの間にか会場から消えてしまった。
 書画会側の接待方が癪に触り、その席をはずし勝手に外へ出ていったのである。
 主催者が探し回ったあげく、発見したときには名物の芸者のハットセ踊りを見物しながら、すでにご酩酊であった。
 ふりかえれば、仙台の地は記者石倉の案内で古跡を巡り、それなりに吟行を重ねることができた。
 有意義に時間を過ごしたはずであった。
 次の日の朝
「もう行くところがないか」
 十湖が石倉に訊ねると、すぐに返事が返ってきた。
「江戸末期の政治家林子平の墓があるがどうしますか」
「それはここから遠いのか。歩いていける距離かな」
「駅前から歩いて十五分ぐらいのところです。あまり訪ねる人もありませんがね」
 同行の青木も同意し、三人揃って旅館から歩いて向かった。
 ホテルは駅前にあるので、そこまではさほどの距離ではない。
 この三日間は、十湖のご機嫌ひとつで随分悩まされた石倉と青木であった。
 しかし、このころになると十湖の人となりがわかったようで、きつい言動にも尻おじすることがなくなった。
 ふと、空を見上げると雲行きも怪しくなり、今晩は再び雪が舞うかもしれないと思われた。
「墓のあるところはこの辺のようですね。」
 目的の墓所に着いたと思われたが、どこが子平の墓なのか。枯れススキなどの雑草が生い茂り、墓が判然としない。
「どうも墓守もいないようだ」
 不安そうに青木は十湖に向って云った。
 江戸時代の政治学者林子平といえば、世に先んじて開国を叫び海防の必要性を唱えた人物で、鎖国の時代に言ったばかりに罪人となった。一七九三年五十三才で幽閉されて病死し、当時は罪人のため墓は作らなかったが、やがて罪をとかれ甥によって建てられたという。
 十湖は墓が当然あるべきもので、静かに安置されているはずだと思っていたらしい。
 ところが、この墓の荒れ放題を見て怒り心頭、持っていた杖で地を叩き、泣きじゃくってしまった。
「どなた様か存じませんが、何をそんなにお怒りになっていらっしゃるのですかな」
 この様子を遠くで見守っていた八十歳を越える老墓守が、つっと近づき言葉丁寧に声をかけた。
「林子平の墓を訪ねてきたが、あまりの荒れ放題に言葉がありません」
 石倉が十湖に代わり頭を下げて事情を話した。
「それはごもっともです。時代が変わり、もはや林子平には民衆は目も刳れないのです。参拝者もほとんどなく線香代も事欠く始末です。私は子平を尊敬しているので、こうして毎日墓守をしておりますが。もう年ですからのう」

Hattose


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