俳人十湖讃歌 第121回 東北漫遊(10) 十湖素裸体になる
老墓守は年のせいで墓の掃除もままならないと言いたいらしい。
しばらくは三人揃って老人の話を聞いていた。
「これを香料の足しにしてくれ」
側で聞いていた十湖はおもむろに懐中に手をやると、財布を取り出し渡してしまった。
ついで、着物の袖から腕から手を抜くと
「これはお前が着ろ」
十湖は墓守のみすぼらしい格好に、自らの帯を解き襦袢一枚と腰巻だけになった。
脱いだ紋付袴を老墓守に差し出し立ち去ってしまった。
雪が降りだしそうな気配だというのに、十湖は身震いしながらホテルへと舞い戻った。
この着物は十湖が東北旅行に行くのに着替えがないといって、鈴木藤三郎から借りたものだった。
翌日の地元の新聞は”松島十湖翁素裸体となる”との大見出しで、この奇行ぶりを紹介する。
三月十三日、一行は仙台滞在五日にしてやっと宇都宮に戻ってきた。
いよいよこれで十湖との吟行も終わりである。
石倉と青木の両人は、十湖への礼心で大宴会を開くことを決めていた。
場所は十湖との歓迎送別を兼ねて、市中第一の武蔵屋という茶店である。
十湖が東北行脚をしていることは新聞で報道され、いまや地元仙台、宇都宮では話題となっていた。それに「十湖宗匠素裸」の見出しの記事は、奇行奇人ぶりで一躍脚光を浴びてしまった。
送別会を開くとの広告に、会する者は市中の名望家や、市会議員、弁護士ら百余名集ったのは当然の結果であった。
ここで十湖は堂々たる俳諧演説を試み、そのあと大連座会となった。いずれも拍手しないものはなく至極上々首尾である。
ところがである。出席者の一人が宗匠に対しちょっと無礼の口を利いたのだ。
子平の墓における十湖の奇行振りを笑ったものだった。
十湖にとって尊敬する人物は一に芭蕉翁、二に二宮尊徳、三に渡辺崋山、四に中江藤樹、五に林子平である。尊敬する人物を傷つけられたのである。
これにはさすがに十湖は頭に血が上り、武蔵屋の宴果ててなお、約三時間も林子平の人物論に怪気炎を吐き続けた。
石倉と青木の両人は夜中の二時近くになって、やっと十湖を白木屋へ送り届けた。
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