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2023年9月 9日 (土)

俳人十湖讃歌 第122回 東北漫遊(11) 帰庵

 後で知ったことだが、白木屋には実業家鈴木藤三郎から滞在費として一千円の仕送りがあった。
 それにしても、鈴木藤三郎と比較すれば、実に十湖の強情我慢には驚くばかりと石倉は述懐している。
 聞くところによれば、この性格は母親の影響が大きかった。
  母親は非常に負けじ魂の強い人で、小間物類を背負い、商いをしては一生懸命稼いでいた。
 この境遇の間に育った十湖にとっては、貴賎の差別が甚だしかった時代である。
 微々たる小間物屋の倅に生まれため、村の者から軽んぜられる。
 それをしのんで仕事の合間には書物を読む。知らぬ文字は相手を選ばず聞いた。
 石倉は今回の旅で十湖の強情、この我慢、この利かぬ気は母親からもらった負けじ魂があったがために、この松島十湖翁ができたという事に考え及んだ。
 だからむしろ、美しい記念物として、貴み残しても良いと思った。
 後に石倉は記事掲載にあたり
 ――偉人にして俳名高く門人の数も万を数え、常に人の意表に出て常人に外れた行動が多い十湖を、人呼んで奇人という。まさにこれが十湖翁の翁所以なり
 と感慨に耽ったのであった。

 十湖の東北行きは帰路、東京の芭蕉ゆかりの地二箇所に句碑を建立し、同年四月下旬、東北旅行を終えて無事帰庵した。
 当時の新聞によれば次のとおり報じている。
 ――東北漫遊帰庵されし松島十湖翁の慰労会は、去る五月六日浜名郡笠井町不老館において、政治家、報徳家、俳諧家連有志主唱者となって開会せり。主催者総代丸尾秀敏が開会の趣旨を述べ、長田豊西学校長らの祝辞演説があり、次に松島十湖翁は漫遊の概況を兼ね答辞を述べ主客十二分の歓びを尽くし散会せしは午後十時頃なりしが
 地元での慰労会の参会者は三百二十余名、十湖は句を扇子に書して渡した。

   旅労れ雨の若葉にわすれけり

Wakaba

 

 (完)

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