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2023年10月28日 (土)

俳人十湖讃歌 第129回 二俣騒動(7)

 句会の帰りは月が足下を照らし、灯はなくても歩けそうだ。久しぶりに酔った十湖にとって、歩く姿は覚束なかった。
 蓮台に付き添われて寺へ戻る途中のことだ。
 唯一明かりが点いて開け放たれた居酒屋の前を通りかかったとき、店の中から撚れた浴衣を着た三人の男たちが威勢よく飛び出してきた。
 十湖を取り巻くと
「この老いぼれ爺、タダ酒飲んでいつまで二俣にいる気だ。学校紛争の助太刀に来たなんて調子のいい事云って、なんら解決もしねえじゃないか。そんな野郎は用がない。いい加減にこの町から出て行け」
 若造のひとりが凄むと、ほかの二人も着物の裾をたくし上げた。
「目障りなんだよ。じじい」
「よそ者は出て行け」
 口を合わせて怒鳴った。
 蓮台が十湖の背に一瞬身を隠した。
「おやおや、河童が現れたか。出るところが間違っていないか。俺はじじいといわれるほど年はとっちゃいない。お前等はどこのどいつだ。初対面の人間に向かってそんなことを云われる筋合いはない」  
 十湖は怯むことなく、彼らよりも大きな声で云い返した。
 やくざな三人を河童に仕立て、案外落ち着いている。この二俣川には昔から河童が出たという言い伝えがあり、川下の油が淵あたりに出没し、子供を隠してしまう。ところが、それを助け出すのが、白髪を長く垂れ、身には白い衣を纏った翁の諏訪明神だったというのである。
「あら、清助じゃないか。そんな態度をするんじゃないよ、私の師匠の諏訪明神様だよ。わざわざ問題解決のために二俣まで仲裁に来てもらったのに」
 十湖の背後から、蓮台の切れ長だが涼しい目が清助を睨み付けた。
 清助とは堀部清助という博奕打ちで、きっぷがよく正義感が強い。中肉中背で女には好かれそうな甘い顔立をしている。河童とは似ても似つかぬ姿である。それにしては、やくざ言葉がどうに云っている。

Machinaka-kura
(現在の二俣裏通り)

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