俳人十湖讃歌 第131回 二俣騒動(9)
議会はもめるだけで結論が出せず、町長は議長の職権で強行採決を図り、五対三(議員定数十二人のうち四名欠席)で原案どおり北部側の皆原案を押し通した。
このとき南部の議員がなぜ欠席だったのか疑問が残るが、当然この結果には南部関係者は猛反発した。
「町長及び北部議員の不信任」を求める署名を郡長に提出し、南部議員五名と鹿島区長は辞任した。
そのため五月には町会議員の補欠選挙が行われたが、南部は候補者を立てず、当選者は全員北部出身者で占めてしまった。
このことが町外で批判され、新聞でも取り上げられ、各地から壮士やらが乗り込んできて町民を煽り、町政批判の演説会を開いた。
事態を憂慮した県知事は、池田郡長や郡会議員その他遠州地方の有力町村長らに調停の斡旋を依頼していた。
十湖は既に公職を退いていたのでその依頼はなかったが、郡長時代の功績を見れば誰もが十湖の出番を待っていた。
しかし、十湖はもうこれ以上何もできない、こう着状態の有様に幻滅していた。
旅館から眺める二俣川の流れは、今は穏やかに下流の天竜川に合流していく。
この川でもかつては何度も暴れたことだろう。
そのたびに住民は立ち向かい解決してきて今があるはずだ。
江戸時代には、代官に願い出て川口村地先天竜川堤を築き、二俣、川口両村を水害から救った男がいた。
二俣村の名主川島重喜である。
この男、俳号を鶏明と号し十湖と同じく嵐牛に師事していたが、明治三年に没し72歳の生涯を終えている。
十湖は窓辺の柱に寄りかかり夕日に照り輝く金色の川面をながめながら、ひとり静かに俳諧師鶏明に思いをはせていた。
我はただ帰りばもなし霜の道
(現在の二俣川)
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