俳人十湖讃歌 第134回 活命料(1)
明治三十四年十一月十二日、二俣紛争の仲裁で庵を離れていた遠州の俳人松島十湖は、久しぶりに我が家へ戻っていた。
だが庵では早朝から弟子たちが慌しく動き回っている。
「今朝は皆どうしたんだ。わしがやっと自宅へ帰ってきたと言うのにうるさくて寝ていれぬ。随処はいないか?」
十湖は寝巻のままで、不機嫌に弟子に声をかけた。
弟子が返答に困っていると襖の向こうから妻佐乃の穏やかな声が返ってきた。
十湖の怒鳴り声には慣れている。
「すみませんね。今行きますから」
「何が起こったのだ。また、随処の仕業か」
弟子が持っていた書留の郵便物を取り上げて、十湖はすぐに事態を察した。
「いえ、今回は私が弟子の皆さんと話して決めたことです」
佐乃がそう言えば、十湖は逆らわず何も言わなかった。
金の事は弟子と妻に任せている。
口出しする気はなかった。
一ケ月の間、天竜二俣に出かけていたので邸は食い扶持の金がなくなってきた。
常には蓄えを持たないのが信条の十湖邸では、句会が開かれなかったりすると、すぐに収入源が途絶えてしまう。
それ以外は郵送で選句の収入が送金されてくるが不定期だ。
それでもこれまで何とかなっていた。
ひとたび十湖が宗匠として動けば、新たな入門者が増え、庵には食い扶持が殖えていく。支出はいっこうに減るどころか増えていく一方なのだ。
一番弟子の随処が外から戻ってきた。
若干十八歳で十湖の門を叩き入門して、十二年目の暮を迎えようとしていた。
十湖の顔を見るなり
「お気付きでしたか。今、弟子たち皆で、活命料の寄付を全国の弟子や関係者に送ろうとしていたところです」
随処は笑顔で得意そうに話した。
「ふふーん、活命料か。よく考えたものだ。活命ということばは活命茶とか呼ばれているので知られるが、活命料となると、こんな名詞は世の中に存在しない。これで相手に通じるとなると、十湖の存在は世間ではお見通しということだ。生きるためには金が要るとな」
十湖は長く伸びた顎の白髭をなでながら鼻で笑って感心した。
(次回へ続く)
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