俳人十湖讃歌 第137回 活命料(4)
「もういいじゃありませんか。猫の手も借りたいくらいですから。この場での議論はやめにして手伝ってくださらない」
妻佐乃が側から口を出した。手は手紙を折りたたんでいた。
「議論をしているわけではない。清貧について、わしの思いを伝えたかったのだ」
十湖は言訳の矛先を妻に向けたが、随處がそれを躱わして云った。
「宗匠、そのまま続けてください。作業は私たちがしますから」
「うーむ、わしの思いとは二宮翁のことばである報徳精神のことじゃ。一体金がなくて人の世話になるのも困るが、金を貯めすぎて揉め事が起こるのも困るもんだ。そのためには真に報徳の道を守って、貧富の外に超脱して、人の人たる道を尽くしてもらいたい。かつて二宮翁は、貧乏人は金持ちにとっては福の神であると云い、即、貧富相和して財宝生ず、富者も賢者も道徳を守って私欲に走らず、世のため国のために働かなければならないと云った」
十湖の話に周りの者は聞き入っていた。随處もうなずいていた。
十湖はさらに続けた。
「翁のことばに―有楽分外に進めば貧賤その内にあり。有楽分内に退ければ富貴その内にあり―とある。つまり何でも分度を守って働くときは富に達することができる。富者でもただ金があるだけでは何にもならぬ。公共のためにして富の下に貴の字の付くようになさなければ直打はない。わしは貧乏が善いとは云うわけではない。貧乏はしていても清貧を心掛けている」
淡々と述べた十湖の話に、随處らは納得顔で頷いた。
活命料のことは怒鳴られるかと随処は覚悟したが、思いのたけを述べた十湖の顔を見ると安心した。
「よくわかった。わしが命の変わりに筆を持てと言うことだな。何百、何千枚か書けば命を繋ぐということだ。これによれば三千枚か。よかろう」
未だ五十三歳の宗匠だ。その気になればやれないことはない。すぐにでも書き始めると云って動きだした。 十湖の性格のいいところでもあった。
自室へ戻り筆をとる。十湖の俳人仲間に手紙を書き始めた。俳誌には手紙文を紹介するとともにこんな句まで添えた。
秋風や死で行くなら今時分
(次回へ続く)
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