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2024年1月20日 (土)

俳人十湖讃歌 第144回 息子の戦死(3) 

「手紙の最後に俳句が添えられているぞ。やっぱりわが子だ。野戦でも風流の道は忘れてはいない」
「どんな句ですか」
「三句ある。
  結ばれぬ露営に夢や時鳥   
  血を払ふ太刀の光の寒さかな  
  いさましう我もちりたし白牡丹             
 少しばかり勇ましい句だ。軍人らしい一面も忘れてはいないようだ。無理をしなければいいが」
「そんなに死に急がなくても、早く生きて戻ってくればいいのに」
 佐乃は十湖の側に寄り添い、手紙を覗き見しながら小声で言った。
「いや軍人は常に生死を彷徨っている。俳句が奴の慰めになっているのだろう」
 いつもなら大きな声でわめき散らすところだが、心なしか神妙な顔つきをして穏やかな声の十湖であった。
 次男藤吉は十湖自慢の子供であった。
 小さい頃から俳句に興じ、めきめきと頭角を現した。
 十湖が引佐麁玉郡長として赴任中の明治十八年のこと、旧気賀の領主徳川家の旗本近藤家に子供がなかったため嗣子がなく、家が断絶しそうだという話を聞き、思案の末に養子として藤吉が近藤登之助を世襲した。
 藤吉は俳人の子として育っていたため俳句にも精通し、のちに四時庵友月と号し俳句を作っていた。すでに近藤家の養子に相応しい文化的素養を身に付けた自慢の子であった。
 だが悲しいことに、日本は戦争へと突入していく時代であった。
 明治三十年、藤吉は二十一歳で軍人に志願し、翌年には歩兵二等軍曹となり静岡第三十四連隊付けとなった。浜松駅が出征兵士で賑っている頃には既に満州の地へ向かっていた。
 こうして手元に彼の俳句が届くのも、戦地からだと思うとなんとも言われぬ寂しさ悲しさに襲われる。
 ――藤吉は不憫な奴だ
 十湖はひとりつぶやきながら、頭の中ではなにやら思案をしていた。
「そうだ、戦地の俳人友月を応援してやろう。奴の好きな句会を開き、皆で励ますのはどうだろうか」
 これなら自分の藤吉に対する不安な想いも紛れるではないかと。さて具体的にはどうやるかが問題であった。

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