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2024年2月24日 (土)

俳人十湖讃歌 第150回 姨捨紀行(3)

 高橋社長のところで数日泊っていたが、ある朝十湖は帰り支度を整えた。
「高橋君、せっかくの機会だから、帰りは長野方面に向かい弥三郎の実家に立ち寄っていこうと思うが」
「ここからなら、そう遠くではないから気をつけてお帰りください。家は旧家で大きいから近くまで行けばわかるはずです」
 高橋社長は快く挨拶したが、十湖との用はとっくに済んでいた。やっと帰ってくれるので安どした。
 十湖は世話をしてくれた御礼を言いながら、さっさと信越本線に乗り込んだ。
 軽井沢から碓氷峠を越え、信州佐久を通り松原湖を目指そうというつもりだった。
 松原湖畔には弥三郎の実家、豪農の鷹野今朝三郎宅に立寄り、自ら挨拶をして来ようと思っていた。
近く信州行脚を計画していたためであった。
 明治末期、長野県佐久地方には鉄道路線が整備されておらず陸の孤島であった。一口に松原湖までといっても、そう容易にいけるものではない。
 明治十九年(一八八六年)には信越線(現在のしなの鉄道)が直江津~軽井沢間に開通し小諸に駅が設けられ、明治三十五年(一九〇二年)に篠ノ井線、その後明治四十五年(一九一二年)には中央線が全通しており、佐久地方だけが鉄道から取り残された地区であった。
 当時の長野県では蚕糸業が発展しており、鉄道敷設に伴い地域産業は発展し、鉄道は蚕糸輸送で大きな収益を上げていた。佐久地方でも養蚕・製糸業が盛んであったが、鉄道網がない為に付随する他産業の発展は望めなかった。
 又、豊富な森林資源も輸送手段がない為に手付かずのまま。地域民は鉄道敷設による地域・産業開発を切望していた。
 鉄道業も他地区の実績を考慮すれば十分に採算が見込まれ、更に千曲川の豊富な水量を利用した発電所建設計画があり、鉄道敷設は必要不可欠と考えられていた。だがこの時期は軽便もなかった。

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(瀬在欽采 画)

 

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