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2024年2月20日 (火)

俳人十湖讃歌 第149回 姨捨紀行(2)

 今回は言うまでもなく吟行行脚である。
 長野方面をめざし招待してくれた俳人仲間のところに連泊し、そこを拠点に周辺地域の吟行を重ねるつもりだった。
 夜は人の集まりそうな旅館や俳人宅で連歌の会や句会を開き、地方の俳人たちとの交流を重ね、弟子を増やしていこうとの野心もあった。
 とかく、これまでの旅は浮名に流され、酒をしたたか飲んでは奇行ぶりを発揮していた。
 そのたびに周囲の者を驚かせることが多々あった十湖だが、これでは戦死した藤吉こと友月に面目が立たぬ、大いに発句に専念しようと思っていた。

    庵の月心信濃に通ふなり 
  
 信州へ向かう十湖一行は、名古屋で中央本線に乗り換えた。
 目指すは長野の篠ノ井駅である。
 駅で買ったちくわをつまみに、冷酒を飲みながら車窓風景を楽しんでいた。
 やがて汽車が姨捨にさしかかろうとした頃には、十湖の頭がうなだれ居眠りを始めていた。
「いつの間にか師匠が寝てしまいましたね。朝が早かったから」
 十湖の向かいの席に座っていた一番若い弟子の閑里が、先輩格の随処に向かって云った。
「そうだなあ。酒はそんなに飲んでいないが、これまでの家業の苦労も一息ついてほっとしたのだろう」
 随処は、十湖の日ごろの多忙を慰めるかのように言った。
「次男の友月君は、戦争の犠牲者だよ。生きていればきっとここに居たかも知れない。師匠は友月の供養で忙しかっただろうと」
 友月と仲のよかった成佳が口を挟んだ。
 十湖にとってこの道は三年前に一度来ているはずだった。
 そのことは誰にも言っていなかった。隠しておきたい苦い体験だったからである。

 三年前の明治三十五年六月、十湖が上京した折、神田区表神保町の啓発社社長高橋金作のところに厄介になっていた。
 この出版社の社長とは俳句の掲載で知り合った仲で、一時、女学生雑誌「姫ゆり」その他の文学書を発行して有名であった。
 ここに十湖の門弟で十五歳になったばかりの柏葉が務めていた。本名は鷹野弥三郎、既に俳号がついており十湖に勧められ俳句の会に入っていた。
 長野方面は俳句が盛んで、弥三郎の父も熱心でその影響があったらしい。
 弥三郎がここで働いているのには訳があった。弥三郎の父親から息子が教員になりたいというので働きながら学ばせたい。ついては働き口を紹介してくれとの頼みからだった。
 弥三郎は後に浜松で十湖の伝記を書くことになるが、十湖とは長い付き合いになっていくことをこのときはまだ知らない。

So09(欽采:画)

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