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2024年3月28日 (木)

俳人十湖讃歌 第161回 姨捨紀行(14)

 後日談として温泉(現上山田ホテル)に今も残るとされる「延命の湯」の句碑は、この短冊を元に彫ったもので、新潟県境の大石を運んで、長野市松代町金井在住の新井唯一石匠によって刻字された。建立は平成元年九月二十七日とある。
この年の春、地元の郷土研究家高中静美氏(祖父春雄)が十湖の孫である桐山氏と曽孫である奈雲氏を案内して姨捨長楽寺と倉科に建つ十湖句碑を訪ねた。
 以下は高中氏の書いた紹介文から引用させていただく。
「よもや祖父春雄も十湖翁も、八十年も後の世にそれぞれの孫たちがつれだって句碑を訪ね歩くなどとは思いもよらぬことでしたろう。その夜、ひと夜の泊りに上山田ホテルを頼んでおきました。女将さんに声をかけていただき、不思議な縁の糸をたどるようにして三人旅の事情をお話しました。そして、かつて松島十湖が上山田温泉に泊って詠んだ「宿の湯にのばす命や千代の秋」という句のあることをお話しすると、女将さんが不意に「その句をウチで碑にさせて下さいな」といわれ、私たち三人は驚いて顔を見合わせているばかりでした。以下略」

 明治三十八年十一月三日、上山田温泉から長野の犀北館へ戻るやいなや弟子たちはそのまま残し、欽采らとともに戸隠へ向かう。
 先月来、信濃毎日の記者から戸隠での吟行を取材したいとの申し入れがあり、瀬在欽采等と冬の戸隠を目指す。
 案内は東松露香、同行は欽采をはじめ松木一枝であった。
 欽采等には事前に伝えてなかったので、草庵では驚いていた。
 戸隠高原付近はすでに秋模様は過ぎ、途中の飯綱原では横風強く徒に寒かった。往く手左に見える安曇野の山は真っ白であった。
 十湖はその時の機嫌で、戸隠へ吟行に行くと了解をしたものの、季節の変わり身にいささか面食らった。
 松木の門下と名乗る淺川村の門沢葉山氏が居合わせ、途中で芋を肴に酒を酌み交わした。五臓六腑に染み渡る燗酒は冷えた体を甦らせた。
 やっとの思いで戸隠神社の一の鳥居へ辿り着く。

  散り残る紅葉かさすや山日和
  白い山青い山見る枯野かな
  見上るや吹雪の中の大鳥居
Kamiyamadaonsen

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