俳人十湖讃歌 第177回 出雲の風(5)
小倉山の麓に行ったときは、報徳精神の農業者らしく広がる田んぼを見て句を披露した。
色紙形短冊形や苗代田
浜松を出立して以来五日も京都に逗留していた。
京都には名残惜しいが、出雲へ向かうこととした。
今回の旅の始まりを振り返ってみると、鳥取の仲間からは以前から招待の予想はしていた。
だが、なぜこの時期に門人たちは自分を招いてくれたのか。
東海道線は開通して既に二十年以上経過している。山陰線は途中の区間が開通していても、全線開通までには至っていなかった。
それが開通したのが明治四十五年三月。
その前年の二月には高さ四十一.五メートルの餘部橋梁が完成している。
十湖を慕う門人たちはこの開通を大いに喜び、十湖にも是非にと招待するのに及んだではないかと思われる。持つべきは友である。
六月五日城ノ崎で途中下車し日和山にて吟行を楽しみ、出雲安来の門人木村芙蓉方へ向かった。
その夜、因幡屋へ投宿する。
宿は出雲大社の近くで、小泉八雲やラフカデオ・ハーンの宿としても有名なようで、当時は現在でいう五つ星クラスの旅館ではなかったか。
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