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2024年6月 8日 (土)

俳人十湖讃歌 第177回 出雲の風(5)

 小倉山の麓に行ったときは、報徳精神の農業者らしく広がる田んぼを見て句を披露した。

     色紙形短冊形や苗代田

 浜松を出立して以来五日も京都に逗留していた。
 京都には名残惜しいが、出雲へ向かうこととした。
 今回の旅の始まりを振り返ってみると、鳥取の仲間からは以前から招待の予想はしていた。
 だが、なぜこの時期に門人たちは自分を招いてくれたのか。
 東海道線は開通して既に二十年以上経過している。山陰線は途中の区間が開通していても、全線開通までには至っていなかった。
 それが開通したのが明治四十五年三月。
 その前年の二月には高さ四十一.五メートルの餘部橋梁が完成している。
 十湖を慕う門人たちはこの開通を大いに喜び、十湖にも是非にと招待するのに及んだではないかと思われる。持つべきは友である。
 六月五日城ノ崎で途中下車し日和山にて吟行を楽しみ、出雲安来の門人木村芙蓉方へ向かった。
 その夜、因幡屋へ投宿する。
 宿は出雲大社の近くで、小泉八雲やラフカデオ・ハーンの宿としても有名なようで、当時は現在でいう五つ星クラスの旅館ではなかったか。

 

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(鳥取 大山)

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