俳人十湖讃歌 第189回 盟友(4)
それから八年後の明治四十二年八月、翠葉から十湖のもとに俳誌「とちの葉」を発行するのでその選者になってほしいという話が来る。
翠葉は郷里岩瀬に俳句結社「つくし会」をつくり、『荊城吟社』を興すなど俳句の興隆にも努めていた。
翠葉はまだ若い。伸び盛りである。
この頃には子規の門にも彼の俳諧活動は影響を及ぼしているとあって、俳諧の将来を託すには盟友以外の何物でもない。
十湖にとって、それだけに期待も大きかった。
さらに明治が終焉した今日、日本はどう進んでいくのか、国民世論には様々な面で不安があった。
しかし、こと十湖に限っては、今回の翠葉の便りはその暗い心を払拭するにふさわしい出来事の知らせであった。
手紙には石倉翠葉が明治二十八年に執筆発行した『櫻川事蹟考』が国に認められ、五月に侯爵徳川頼倫公一行が桜川視察を行ったときのことが書かれていた。手紙は長いので要点のみを記す。
「侯爵徳川頼倫公は三好学博士の講演と戸川残花先生の推賞並みに庵主(重継)の旧著二種を終日細読され、かかる名所を等閑に付す(なおざりにする)べからずと為し、俄に前記二氏を案内し、橘井南葵文庫掌書、家従を従え杖 曳杖、同侯の快調たる史蹟名勝天然記念物協会の名を以て保存金若干を櫻川磯部稲村神社へ奉納せられたる旨、戸川残花先生及び神社氏子総代より詳細庵主(重継)のもとへ報告せらることとなった」
とあった。
(桜川神社:桜川市HPより)
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