俳人十湖讃歌 第187回 盟友(2)
石倉翠葉との付き合いは十年以上前に遡る。
はじめて翠葉と出会ったのが東北漫遊であった。
このとき新聞記者だった石倉が同行取材を申し込んできたので一週間ほどの吟行取材を許す。それがお互いの親交を深める旅となった。
当時、石倉については記者であるとの認識しか持ち合わせていなかった十湖だが、あえてそれ以上の要求をしたことはなかったと自問していた。
ただ順調に旅をすればよかったことだった。
ところが帰庵後、石倉がまさかと思われる抱負を持っていることに初めて気づいたのである。
東北から帰った十湖には、あまりにも多忙な日々が待ち受けていた。
これからは俳句三昧の生活に戻ると思っていた矢先、二俣町の地域紛争の仲裁依頼が舞い込んできた。
この解決に至る経過は自らの郡長時代の交渉事項よりも厳しく、俳句どころではなかった。
それでも解決の糸口が見つかり我家へ帰って来れたものの、主が不在の間は我家への収入は途絶えていた。
世間では十湖のことを貧中翁と呼び噂となったほどだ。
妻と弟子たちはこれを逆手にとって、全国の門人、弟子たちに活命料の名目で生活費の援助を願った。
やがて、効が奏して年が越せた。
そして今、翠葉から手紙が届く。思えば翠葉の歳は二十八歳になるころだろう。
翠葉は俳人の号で、この時は花笠庵翠葉こと石倉重継であった。
石倉はもともと文学志望で和歌の道を目指していたが何かの縁で日日新聞の記者となった。
此度の手紙には
「社会人生活も一区切りがついたので今後は俳句の道に進みたい。いずれご指導をお願いしたいことがあるので、その時にはよろしく」
と依頼の言葉が添えられていた。
(当時の浜松駅風景)
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