俳人十湖讃歌 第190回 盟友(5)
このことは翠葉が著書で紹介した桜川という桜の名所を、将来国指定にするという内容であった。
桜川は石倉翠葉の故郷であり、かつて紀貫之が
常よりも春辺になれば桜川 波の花こそ 間なく寄すらめ
と詠じてから、桜の名所として広く知られ、関西では吉野、関東では桜川とうわれるほどで、後花園天皇永享十年(一四三八)櫻川磯部稲村神社宮司磯部佑行氏が鎌倉に上り、時の鎌倉公方足利持氏に「桜児物語」一巻を献じ、これを幽玄能の大家世阿弥元清に作らせたのが謡曲「桜川」と言われている。
このように調査し紹介したのが、翠葉の著書『櫻川事蹟考』であった。
明治二十八年五月十日、翠葉は事蹟考出版のため、両親が田畑を売り払って用意してくれた金と、親族入江菊次郎氏から提供してもらった資金の合計二百円を持って上京。
まず名勝地顕揚のためということで、「桜川和歌集」広告三千枚を印刷、各地の歌会や歌人へ配る。
その際の選者を歌人佐々木信綱氏に委嘱、集まった和歌を「櫻川事蹟考へ掲載すること」として資金にした。
同年九月三日、『櫻川事蹟考』は自らが編集兼発行人となり、西茨城郡西那珂村大字西飯岡(現桜川市西飯岡)幽調館を発行所として千部発行した。
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