俳人十湖讃歌 第192回 十湖の事件帳(1)
遠州地方の夏の暑さは、七十歳近くになった十湖の体にとっても厳しいものがある。早朝こそが唯一気を許せる時間帯であった。
このごろは白絣の寝まきのまま縁側から降り立ち、玄関先に新聞を取り行くのが日課となっている。
今日もいつものように新聞をとりに行くと、朝の涼やかな風が頬を撫でて行く。
自慢の長く垂れた白髭がなければ、どんなにか爽やかに感じていいのにと悔やんだ。
縁側に腰を掛け新聞の紙面をめくりながら、最近の記事は戦況と自殺か軽便の事故ばかりと一人ぼやいている。
自分に関わる記事が載っているとご機嫌の良い十湖だが、そんな記事は見当たらない。
先月は何度か紙面を賑わす出来事があり、記事を切り抜いては十湖の日記帳である「随筆」に貼り付けご満悦であった。
その中の一つ大正四年七月二十七日付けの切り抜きは、歩兵隊六十七連隊が中善地内八雲神社に行軍の休憩で立ち寄った時の記事であった。
その折、十湖は村長と校長、青年団とともに、暑さと疲労の兵隊をねぎらうため休憩所を設け、青年団は草刈をして彼らのために水を汲んでおいた。
さらに十湖は私費をもってビール、酒正宗、タバコ、カステラなどの菓子類を用意した。このことが新聞の紙面を飾っていた。
翌々日は同神社の境内で大祭があり、神楽、浪花節、義太夫、相撲、大弓が行われ、甘酒の接待があったことを報じていた。
だが、八月二日の朝は少し様子が違っていた。自分に関する記事はないものの社会面に気に懸る大きな見出しが踊っていた。
――画家汽車より墜落生命危うし
続けて記事は
――大正四年七月三十日午后五時五十分興津駅を発車した上り列車が由比町字西倉澤地先進行中俄然線路外へ転落せる乗客あり、年齢三十五から三十六歳ぐらいの画家風の男
とあった。一瞬、十湖の体に鳥肌が立ったような気がした。
(静岡県浜松市引佐町渋川のレンガ造り凱旋門)
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