俳人十湖讃歌 第193回 十湖の事件帳(2)
脳裏から離れなかった「画家風の男」とは。十湖は朝餉の蜆の味噌汁をすすりながら考えていた。
お櫃の傍にいる2歳年下の妻の佐乃が、いつもと違う十湖の様子をみて、心配そうに小さな声でそっと
「おかわりはいかがですか」
と声をかけた。
その声が引き金となったのか、はっとして十湖はさっきまで読んでいた新聞を引き寄せ、箸を持ったまま忙しく新聞をめくり、社会面の列車墜落事故の記事を繰り返し読んだ。
十湖は長く垂れた白髭が新聞にかかって邪魔らしく時折首を振った。
と突然、新聞を持って佐乃に食って掛かるような声を発した。
「この記事を読んでみろ。画家風の男とあるがお前に心覚えがないか」
佐乃は渡された新聞の記事を急いで目で追っていた。
「35、6歳で画家風の男、酒を飲むとあるわね。まさか、あの木崎さんではないでしょうね」
木崎とは昨年11月にふらっと十湖邸へやってきた青年画家である。東京から来たと言い木崎九皐(きゅうこう)と名乗った。
画は東京の日本画家で有名な島崎柳鴻に師事し学んだという。この年の2月まで十湖のもとで画会を開いたり、句会にも同行し、門人らと寝起きをともにしたこともあり、画家として成長しつつあった。
2月の某日、京都へ行ってさらに上を目指したいと、意気揚々と中善地の十湖のもとを後にした。
その木崎が、今記事になっている。いや、そうとは一概に決め付けられない。
「わしも同じことを考えていた。だが」
と言いかけて十湖は着ていた寝巻きを放り出し着替えを始めた。
「小野田屋へ行って来る。たぶん詳しい話が聞けるだろう」
(次回に続く)
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