俳人十湖讃歌 第194回 十湖の事件帳(3)
着替えを済ませた十湖は急いで小野田屋へと走った。
67歳とはいえ腰はかくしゃくとしている。少しくらいのことなら早走りは気にならない。
小野田屋は豊西町の旅館で、木崎が笠井にいたとき身を寄せていた。十湖の邸からは眼と鼻の先だ。
「おーいいるか。わしだあ、十湖だ。聞きたいことがある」
といいながら、下駄を脱いだ素足は旅館の廊下にあった。
出てきた旅館の女将ひでに、十湖は手にした新聞を見せるなり
「これは木崎に間違いないか。確かめてくれ」
といって持っていた新聞を差し出した。
女将はその記事を一語一語噛み締めるように読んいる。いらいらしながらそばに立っている十湖の様子を伺いながらも女将は
「35,6歳の男で車中で酒を飲み室外の風景を写生して誤って墜落せしものとあるわね。年恰好といい、画家といい木崎先生に似ているわ。それに着ているものがあのときと同じ」
とうなずきながら応えた。
女将は十湖の苛立ちが収まるのを待って、話を続けた。
「関西方面へ旅立つと云ってここを発った二月は元気がよかったねえ。でも先月京都辺りからふらりと戻ってきてね。ちょっと話し方が尋常でなかったので近くの中安医院に診察に連れて行ったわ。本人はおとなしく従ったけどね」
「それで事故当日の服装と同じだったというわけか。木崎は何だって七月二十五日に浜松に現れたのか。何の用があったのだ。わしには内緒で」
十湖は怪訝な顔でひでを見た。
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