俳人十湖讃歌 第202回 十湖の事件帳(最終回)
蝉の声が降りしきる八月三十一日午前九時、十湖の菩提寺である源長院において木崎画伯の大法会を開いた。
本堂に集まった参会者は百余名におよび鈴木笠井町長や高林豊西村村長の姿もあった。
受付には参会者の奉賀帳が置かれ記念品が用意されており、故木崎画伯の遺墨、遺作も陳列し、画帳もそこに展示されていた。
追悼法会の席上、十湖は弔辞をよみ故人の逸話を追懐していた。
受付係の男が十湖の弔辞に見いっているときであった。
突然、スーと風のように白袴の青年が現れ、展示されていた画帳を懐に入れ門外へ消えた。
一瞬の出来事だったので受付係は気がつかなかったらしい。
参会者が木崎の思い出を振り返りながら会はしめやかに進行し、夕刻には散会した。
十湖は参会者の去った本堂に佇み、西の空がいつしか真っ赤な落日になっていくのを見送っていた。
次の日の朝、いつものように縁側に降り立ち新聞を取りにいく十湖の姿があった。
大きなあくびをして庭で新聞を広げ昨日の記事を貪り読む。
木崎の法会には新聞記者や報道関係者だけでも七十人ほど集まっていた。それだけに今朝の記事は各紙に載っているはずだった。
ある地方紙の隅に
――木崎画伯の追悼法会で画帳紛失。不心得な参会者か盗人か
と小さな見出しの記事があった。
十湖はこんなことがあったとは知らなかったが、今更問題にするようなことではないと他の記事を読み進めていた。
夏の早朝とはいえ太陽が顔を出せば暑い。新聞を読み終えて邸の中へ足を向けたそのときだった。
一陣のさわやかな風が十湖の頬をなでるようにして過ぎていった。
十湖がいなくなった縁側には、大法会のとき無くなったはずの画帳が、いつの間にか朝の陽を受けている。風がページをめくると八重と一緒にいる木崎の似顔絵が描かれていた。
この日、十湖の日記帳である「随筆」には、切り抜いた木崎の新聞記事が所狭しと張られ、恰も事件帳である如く克明に画伯死亡の詳細が綴られていた。(完)
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