俳人十湖讃歌 第204回 俳人の礼(2)
同じころ浜松駅に旅行鞄を持った一人の男が降り立った。
東京在住の花笠庵翠葉である。
四十二歳の俳句の宗匠である。鳥打帽子にグレーの背広姿がよく似合っている。
上りの急行列車に乗って午前五時三十分浜松駅に着いている。
まだ朝が暗い。雇う人力車の車夫も見えず、道を尋ねたくても起きている人はいない。駅前は閑散としていた。
仕方なく駅へ戻り駅員に笠井までの道順を訊ねた。
「すみません。笠井方面へはどうやっていけばいいでしょうか」
「笠井町ですか?それなら軽便を利用すればいいでしょう」
駅員はそういって、駅を出て右方向にしばらく行くと笠井方面行きの軽便鉄道の駅があると教えてくれた。
しばらく行くとはいえ、いくつかの角を曲がりやっとのことで駅に辿り着くが、その道のりは遠く旅行鞄が重かった。
板屋町の停車場は二俣町西鹿島までの軽便鉄道の起点であり、二俣線として明治四十二年に開通した。
笠井町まで行くには西ヶ崎の駅で乗り換えなければならない。
昨年五月に二俣線の支線として西ヶ崎笠井間の笠井線が誕生したばかりである。この間わずか四駅、軌間七六二ミリの軽便鉄道だ。
ここまで歩くのに時間がかかったせいか既に夜が明けていた。停車場で待つことなく七時発の汽車に乗り込み笠井へ向けて出発した。
それにしては鈍い汽車である。まるで玩具の汽車で人が歩むのと変わらない速さだ。
車窓の風景は二つ三つの町を通過してきたが、すぐに田畑ばかりの風景に変わっていた。
翠葉はじいさんに早く会いたい気持ちが先んじて、じれったくて仕方がなかった。翠葉にとってのじいさんは十湖のことである。
それでも浜松から二時間以上かけて無事笠井に着いた。
周囲を見渡すと車窓風景とは打って変わって、通りは浜松駅前と同様開けていた。
ここから十湖の住む大撫庵までは一里弱である。朝が早かったせいもあって腹も減ってきた。歩く気力も失せ、車を探してみたが一向に見つからない。仕方なく歩いていくことに決めた。
(当時の浜松駅)
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