俳人十湖讃歌 第211回 俳人の礼(9)
厠の方から声がする。
なんと十湖が厠にはまって、今まさに黄金仏となっている。
悪臭をものともせず二人で引き揚げ、庭へ連れ出し水をかけた。匂いはなかなか消えない。なんとか着ているものを脱がして洗濯し、新しいものを着せ足袋を穿かせたことがあった。
そのうち翠葉も外の集まりに一緒に連れ出されることがあった。十湖の荷物や下駄など翠葉自身が進んで持つようにした。十湖が行き先で何を起すかわからないので着替えも含め自衛策をとった。
かつて十湖と連れ立って行った東北漫遊の再来だとあきらめていた。
こうしていつの間にか六十日間を経過したのであった。
十湖がいざめでたく百歌仙を巻き上げて国へ帰ろうとしたときは、別れを惜しんで妻も泣いた。姪のよし子と云う女学生も泣いた。翠葉も泣いた。
十湖も両目を真っ赤にしていた。おそらくこのときの十湖には翠葉のもてなしを余程うれしく思ってくれたのであろう。
「最後にひとつ頼みがある。はさみを持って来てくれ」
十湖にいわれて翠葉は、はさみを差し出した。
すると十湖は一尺ほどに伸びた白い顎鬚をひと思いに切ってしまった。
「もし、わしが死んだということを聞いたら、庭内の句碑のそばにこれを埋めてもらいたい」
翠葉は切った顎鬚を小瓶に詰め預かることにした。
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