真筆・十湖の句と風景 平口不動寺の「花に鐘」
久しぶりに十湖の句がある寺へ詣でた。
行った先は浜松市浜名区平口不動寺、浜松の北方に位置する高台にあり、室町時代からの由緒ある寺である。
この寺の中腹に十湖の句碑が建立されていた。
撞てから暮るる後あり花にかね
句の意味するところは暮れ六つの鐘を撞いたところ、日暮れまでには間があった。折りしも境内の桜は満開で風に舞い散っている。その中を今撞いたばかりの鐘の音が響いている。
(十湖の句碑)
こんなところだろうか。十湖は風雅なここちだったのだろう。
詠んだ時期は明治18年、十湖が37歳のころで郡長として一番の仕事ができた絶頂期だ。
彼の行なった天竜川の治水事業を県が認めてその功労として、これからさかのぼること4年前に引佐郡・麁玉郡の郡長に任命した。
たいした出世だったが、そんなことにはお構いなく、十湖はこの地において農業振興と俳句の隆盛を図ってきた。
その功績は引佐へ行けばわかる。
話は反れたが、この句を詠んだ時期を振り返ると、この郡長時代に引佐地域には最低4つの句碑が十湖によって建立された。
(不動寺境内の桜)
奥山方広寺、細江神社、長楽寺、金指実相寺境内である。不動寺に建立されたのは明治20年のことである。「西遠の句碑」を刊行した西原勲先生が同書の中で書いている。不動寺の十湖の句は、何度も口ずさんでいると不思議と景が見えてくる。その場その時期に居てこそ味わいが出てくるというもの。この寺には芭蕉の句も建っている。芭蕉が立ち寄るはずはないと思うのだが、これは十湖等によって建立されたもの。
”ほろほろと山吹ちるか滝の音”
十湖の句と一緒に鑑賞することができ、参道には小さな滝もありお勧めの吟行の場所でもある。
なお、寺の先代の加藤泰明住職がいつも句碑を大切に扱ってくれていたがうれしい限りである。いまでも境内には地域の俳人たちの句碑が残されている。
遠州平口不動寺ホームページ

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