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2025年5月21日 (水)

鷹野つぎの養女時代余話(1) 


 市立のサナトリウムは東京郊外の小高い丘にあり、病院というより病人の安息所という方が適しているかも知れない。
 昭和十一年、四十七歳になる鷹野つぎはこのサナトリウムいわゆる療養所の新館二十六舎に入った。
 病棟は白壁の清らかな天井、白布のベッド、日光の降り注ぐベランダ、見下ろせば新緑の庭園が広がっている。
病室には六台のベッドが二列に並び、向かい側のベッドにだけ少女の患者が一人いた。
 寝巻姿のつぎのそばには夫弥三郎が珍しく見舞いに来ていた。
 弥三郎は相変わらず精悍な顔をして、女性には好かれそうなタイプである。
最近、仕事が忙しいとか言って来なかったが久しぶりの対面だ。つぎの背に格子縞の入った赤い半纏を羽織ってやろうとしていた。
「子供たちは元気にしているかしら。それともあなたが手を焼いているのかな」
 つぎは、甘えたような声で弥三郎に囁くように云った。つぎの結核が再発して、すでに半年になる。十三歳になる三男の三弥だけが同じ病院に入院しており、隣のベッドに休んでいる。 
 ほかの兄弟三人はそれぞれ親戚に預けていた。
 このころまでに、つぎは八人の子どもを産んだが、既に四人は病気で亡くしていた。
 つぎ自身は作家活動をしながら結核の療養をしている。
「先週は信州の実家に行ってきて、真弥に会ってきたよ。元気だった」
 弥三郎はベッドの端に腰を降ろして静かに云った。
「そう安心したわ。真弥が心配だったから」
「子どもの心配もいいけど、再発で入院したのだから気を付けないといけない。病院にいれば安心だけどな」
「そうね。うちにいると子どもの面倒でつい無理をしてしまう」
「それがよくないのさ。子どもにもうつってしまう」
いつものように弥三郎はつぎの手を握りながら注意した。
「こうしているとなんだか、今迄お世話になった人で亡くなっていった方を思ってしまうの」
「そういえばお前が十八の頃、娘として入籍してくれた人がいたね」
 弥三郎は二人に共通する人物を思い浮かべながら、優しく言葉を返した。
 最近の弥三郎は自分に気を使って話すことが多くなったとつぎは心苦しくもあった。
「私が忘れるとでも思っているの。だって、あの人がいなかったら、今の私たちはこうしていなかったもの」
 あの人とは、義父松島十湖のことである。
 つぎがはじめて会った時は十湖が既に六十五歳の頃で、二十歳代で県会議員、三十歳代の郡長時代には二宮尊徳の報徳仕法を実践し、その普及に走り、一方では俳人として名を馳せていた頃である。
四十歳以降は俳諧師の宗匠として全国を行脚し俳句の振興に努めていた。(次回へつづく)




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