鷹野つぎの養女時代余話(4)
明治二十七年に開戦した日清戦争が翌年四月に勝利すると、日本はさらに軍備を拡張し日露戦争へと突き進んでいく。
ロシアとの戦争は文字通り国の総力を挙げての戦いで、戦費だけでも約十八億円、これは戦争前の日本の国家予算の六倍以上になる。
国はそのため増税、次に国債を発行した。
この戦争で従軍した日本の兵士は百九万人と言われ、およそ半分が男性だとすると男子二十二~二十三人に一人という計算になる。
そのうち、およそ八万八千人の兵士が亡くなり、傷病者になった兵士は四十万人を超えた。
出征した兵士の半数が何らかの犠牲を被ったことになる。
明治三十七年二月八日、陸軍先遣隊は仁川に上陸を開始、連合艦隊は旅順港外のロシア軍艦を攻撃し、翌九日には仁川で軍艦二隻を撃破した。 国内は戦勝に沸いていた。
同じころ、浜松駅停車場では多くの出征兵士の見送り人でごった返していた。
一方、出征・帰還の将兵を接待する施設も駅に備えられていて、日夜にわたり送迎接待にあたっていた。
愛国婦人会という会員四十五万人を擁す団体が、兵士たちに慰問品を送ったり、出征兵士の家族を励ましたりと盛んに活動していた。
市内の学校でも戦争に協力することが求められ、出征兵士の見送りや戦況が有利に展開している時は祝賀行事を開催した。
(次回へつづく)
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